不思議感覚とあなたの哲学

哲学らしきもの、カント哲学とか、実存主義とか、いわゆる、お勉強的な哲学もそれはそれで面白いのだが、そういうものを利用しなくても、哲学は今のこの場にちゃんとある。

人が何かを考えるところに現われるもの、何かを不思議と思ってその不思議を知りたいと思うところに出てくるもの、それが哲学である。

特にお勉強する必要はない。

子どもが、「ぼくも死ぬの?」と思って、死ぬってどういうことだろうと不思議に思って考え始めれば、それがそのまま哲学になる。

逆に言うと、不思議が無いところに、哲学は成立しない。

よく、お勉強ができる人が、「カントの考えではーー」とか、「ニーチェによるとーー」なんて、哲学者の考えを詳しく説明してくれるが、カントがどう言ったとか、ニーチェがどう考えたなんてことは、あなたの不思議感覚とは、原則的には関係ないことである。彼らが不思議に思ったことと同じことをあなたも不思議に思ったとしたら、関係はあるが、それ以外の場合は関係ない。

あなたは、あなた自身が不思議だなあと思うことを、まっすぐに考え続ければいい。それが、「あなたの哲学」である。

哲学というのは、万人に妥当する普遍的な真理を発見するものだと言われることもあるが、万人に妥当するなんてことがどうして万人ならぬ「あなた」に分かるのか。仮に分かったとして、万人に妥当するかどうかなんてことが、どうして、「あなた」の疑問にとって重要なことなのか。

そんなことはどうでもいいことである。あなたは、あなたの哲学を始めよう。不思議だなあと思うことを、考え続けてみよう。それが、あなたの人生を豊かにする……かどうか、あなたならぬ「わたし」には知る由もないが。

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