少女とクマとの哲学的対話「別れるときは、笑って別れましょう」

〈登場人物〉
アイチ……高校2年生の女の子。
クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。

アイチ「ふうっ……」
クマ「どうしたの? ずいぶん気分が沈んでいるみたいだね?」
アイチ「友だちがお祖父ちゃんを亡くしたんだけど、それで、悲しんでいるのね。その子にかける言葉がなくてさ」
クマ「前に話に出た子のことだね?(→「いつまで生きるつもりですか?」)」
アイチ「うん、そのおじいちゃん、やっぱり助からなくて、最後まで、『死にたくない』って言ってたらしくて、その友だち自身、お祖父ちゃんにかける言葉がなかったみたいで、お祖父ちゃんが亡くなったこと自体も悲しいんだけど、もっと悲しいのは、お祖父ちゃんを安心させてあげられなかったことなんだって」
クマ「そのアイチの友だちはいいヤツだな。でも、まあ、しょうがないよね。自分の生き死にのことは、自分で考えるしかないんだ。他人に、代わりに考えてもらうわけにはいかない」
アイチ「人は、どうして死ぬことを悲しいことだと思うんだろう?」
クマ「それが死について考えていないっていうそのことだね。しっかりと考えていないから、死を悲しみとしかとらえられないんだ。ボクはね、そういうような人間の感じ方自体に悲しみを覚えるよ。……ただ、そうは言ってもね、死は確かに悲しいことでもあると思うんだよ」
アイチ「わたし、自分が死んじゃってクマと話すことができなくなったところを想像すると、やっぱり、悲しい気がするなあ」
クマ「ありがとう。ボクも同じさ。そうなんだ、やっぱりそれは、どこか悲しい気がする。この感じはどこから来るんだろうか。ボクらはいずれ別れる。別れがあるからこそ、別れるまでその人のことを十分に思いやろうという言い方があるね。その人に感謝を伝えて、してあげたいと思っていることはしてあげようってね。でもね、そういう風にして十分に思いやったって、やっぱり別れは十二分に悲しいんだよ。思いやった分で別れの悲しさが減るなんて、そんなのはウソさ。じゃあ、一体どうすればいいのか。どうにもできはしないんだ。それが別れが悲しいというそのことなんだからね」
アイチ「生きている間に別れるのも悲しいんだから、まして、死んで別れるっていうのはもっと悲しいことだよね……でも、クマ、わたし思うんだけど、もしかしたら、笑顔で別れることもできるんじゃないかな? それも悲しみを隠すための笑顔じゃなくてね、心からの笑顔で別れることがさ」
クマ「ああ、そうなんだ。どうにもできはしないって言ったけど、実は、一つだけ、できることがある。それは、やっぱりね、死について考えることなんだ。死について、しっかりと考えることができた二人の間には、死別の悲しみは実は無い。なぜかと言えば、死について考えることができれば、この世の中に生まれてきたことをたまさかのこととして見ることができるからだ」
アイチ「なぜだか存在して、なぜだか出会ったことを、奇跡として考えることができるっていうことだね?」
クマ「その通り。でもね、それは、確率的に考えて、数千億分の一だったとか、そんなチャチな話じゃないんだ。ボクらが存在せず、出会わなかった世界なんてものが考えられないということが、それが奇跡なんだっていうそのことなんだからね」
アイチ「存在して出会ったこと自体が奇跡だったら、もうそれ以上のことを求める必要はないよね」
クマ「うん。アイチ、キミはいずれ死ぬだろう……いや、いずれのことじゃないかもしれない。でも、キミが存在したことが一つの奇跡で、ボクが存在したことがもう一つの奇跡、そんなボクらが出会ったことがさらにもう一つの奇跡だ。これらの奇跡は、もしも、キミが存在しなくなって、あるいは、ボクが存在しなくなって、ボクらが別れたとしても、なくなるわけじゃないんだ。それを知っているボクらはね、きっと笑って別れることができるはずさ」

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