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女の子とウサとの哲学的会話「努力と結果って、どっちが大事なの?」

〈登場人物〉
サヤカ……小学5年生の女の子。
ウサ……サヤカが3歳の誕生日にもらった人語を解するヌイグルミ。

サヤカ「ねえ、ウサ。努力と結果って、どっちが大事なんだろう。学校の先生は努力の方が大事で、努力したからこそその結果も大事になるんだよって言うし、お母さんは努力も大事だけど、結果の方が大事で、結果が出るように努力しなさいって言うし。どっちが本当なんだろう?」
ウサ「確かに、どっち側の意見もあるよね。サヤカちゃんは、どう思う?」
サヤカ「わたしは、結果は大事だけど、でも、もしも結果が出なくても、そのためにがんばって努力したことっていうのは、無駄にならないと思うなあ。だから、どっちの方が大事って言えないような気がする」
ウサ「ちょっと具体的に考えてみよっか。サヤカちゃんは、自転車に乗れるよね?」
サヤカ「うん。1年生くらいのときに、お父さんと練習した覚えがあるよ」
ウサ「練習をがんばって乗れるようになったんだよね」
サヤカ「何回も転んだなあ……」
ウサ「一日じゃ乗れなかったよね」
サヤカ「うん」
ウサ「その乗れなかった日にね、もし、お父さんにこう言われたらどう思う? 『サヤカは今日がんばった。がんばったことがえらいことで、自転車に乗れるようになること自体は、どうでもいいことなんだよ』って」
サヤカ「…………納得しなかったと思うなあ。だって、わたし、自転車に乗りたいもん。そのためにがんばったんだし、がんばることがえらいことだって言われても…………あっ! ていうことは、やっぱり、結果の方が大事なんだ!」
ウサ「じゃあ、今度は、こういう想像はどうかな。サヤカちゃんが、中学受験するとして、がんばって受験するんだけど、失敗するの。そのとき、お母さんがね、『がんばっても合格っていう結果が出なかったんだから、そのがんばりは無駄だったんだよ』って言ったら、どう?」
サヤカ「そんなこと言われたらお母さんのこと嫌いになるかも…………ええっと、やっぱり納得しないと思う。だってさ、今回がんばれたってことは、次もがんばれるってことでしょ。だから、無駄なんかじゃないよ……あれ? だったら、努力の方が大事なのかな?」
ウサ「ちょっと話を変えるけど、サヤカちゃんは、メロンとトマトって、どっちが価値が高いと思う?」
サヤカ「えっ……えーと……メロンは高級だよね、でも、トマトってすごく栄養があるんでしょ……だから、どっちとも言えないような気がするんだけど……」
ウサ「じゃあ、日本語と英語の価値はどう? どっちが高い?」
サヤカ「日本語は今わたしが使っている言葉ですごく大事な言葉だけど、英語は国際語で重要だから……うーん……」
ウサ「晴れの日と雨の日は? どっちが大事?」
サヤカ「晴れの日は気分が良くなるけど……雨の日が無いとお米とかが育たないから……どっちが大事とも言えないよ」
ウサ「うん、メロンとトマト、日本語と英語、晴れの日と雨の日、それぞれを比較すると、どっちの方が大事だってはっきりとは言えないよね。逆に言うと、こっちの方が大事だよってどっちにも言えることになるの。比較できるものっていうのはね、その比較できるっていうことにおいて、実は、どちらが大事だとも言えることになるのよ」
サヤカ「比較できれば、どっちも大事だって言えるの? そんなのおかしくないかな。だって、どっちが大事だって言うために比較するのに、比較することで、どっちも大事だって言えるなんて」
ウサ「もちろん、現実には、どっちが大事かっていうのは決まるのよ。たとえば、メロンとトマトを比較したときにね、メロンの方が大事だっていう考え方の方が現実に強ければ、メロンが大事だってことに決まるの。でもね、決まった後もいつだって、トマト派からの逆襲が可能なのよ。『いや、実はトマトの方が大事なんだ!』ってね」
サヤカ「そしたら、どっちが大事なのかは『本当には』決まらないってことなの?」
ウサ「もしも、比較をしなくなったら、そのときに決まることになるよ。たとえば、メロンとお米はどっちが大事なんだろうって、そんな比較は普通しないよね。比較をしていないときは、どちらかが大事であることに『本当に』決まっていることになるの」
サヤカ「その場合はお米だね……じゃあさ、ウサ、努力と結果がどっちが大事なんだろうって比較しているうちは、現実に、こっちが大事だっていう意見が強かったとしても、『本当には』決まらないんだね?」
ウサ「そう。比較をするってことはね、実は、相手の意見が正しい可能性も認めるっていうことなのよ」

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