少女とクマとの哲学的対話「『人間だもの』と怒りの不思議」

〈登場人物〉
アイチ……高校2年生の女の子。
クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。
春日東風……noteを利用している物書き。

クマ「フォロワーとやり合ったみたいだね」
春日東風「やり合っていませんよ。今回は、やり合う前に逃げたんです」
アイチ「今回はって、前にもあったの?」
春日東風「ありましたよ。同じ人ですけど。そのときのnote、マガジンに収納してないから、どこにあるか分かりませんけど、わたしのnote内のどこかにありますよ」
クマ「そのときはどう決着したんだい?」
春日東風「いや、別に決着してないです」
アイチ「えっ!? やり合ったのに、そのまま付き合ってたの?」
春日東風「実は、その……前にやり合ったあと、しばらく時間が空いてから、向こうがまたわたしのnoteにコメントをつけてきたんですけど、そのときには、そんなことがあったことをすっかり忘れていたんですよ。だから、その人だって気がつかなくて。まあ、ちょっとしてから気がついたんですけどね」
クマ「忘れていたなんて、キミの頭の作りは随分と大らかなんだな」
春日東風「はっきり、バカだって言ってくださいよ。それに、まさかじゃないですか。だって、以前にバチバチやり合ったのに、そのあと普通にコメントつけてくるんですよ。そんな人が当の本人だなんて思わないじゃないですか」
アイチ「相手は別に『やり合った』なんて思ってないんじゃないの?」
春日東風「問題は、つまり、そういうところなんです」
アイチ「どういうこと?」
春日東風「自分がどう思っているかということと、相手がどう思っているかということは全然違うことじゃないですか。自分がこう思っていても、相手はそう思わないかもしれない。自分の意見というのはあくまで自分の意見であって、それを聞くかどうかは、相手の自由に任されているわけです。そういうことが分からない人とは、何を話すこともできないということです」
アイチ「ブロックまでする必要はあったのかな?」
春日東風「二度目ですから」
クマ「しかし、ブロックに至ったnoteのコメント欄読んでみたけど、キミの対応もいかがなものかと思うよ。もうちょっと品のある対応ができたんじゃないの?」
春日東風「わたしの人生の時間も有限なんです。自分の意見に同調してもらいたいというだけのコメントにいちいち反応しているヒマはありませんよ」
クマ「ボクはキミに嘘をついてもしょうがないから正直に言うけど、今回のことではキミにはがっかりしたよ。ブロックするのはいいさ。でも、それをわざわざnoteにしたり、そのnoteを固定表示したりする必要は無いだろう。下品だ。普段、キミがnoteでぶち上げていることに説得力が無くなる。メッキが剥がれたってもんじゃないか」
春日東風「それは全面的にあなたの言うとおりだと思います。認めますよ。確かに下品だ。しかし、わたしは下品で結構です。上品ぶるつもりなんかハナからないんだ。それに、メッキが剥がれて、地金が見えたって言うんだったら、そっちの方がフォロワーにとってはいいことじゃないですか」
クマ「いや、ボクはそうは思わない。メッキは剥がすな。生涯つきとおしたウソは真実になる。いったんカッコつけたら、カッコつけ続けなければいけないんだ。『人間だもの』っていう名言があるけどね、ボクはこれには断固反対するよ。人間であるという一点において何でも許されるという考えは、確実に人を卑しくする」
アイチ「まあ、どっちでもいいんじゃないの。東風さんがどんな風に生きて死のうが、おおかたの人にとってはどうでもいいことなんだから」
春日東風「……きみは相変わらず、的確に嫌なことを言う子だな。しかし、まあ、その通りだ」
クマ「してしまったことは、もうどうしようもないことだけれど、キミの中ではこの件は決着したんだよね? 怒りなりなんなりは、もう雲散霧消したんだろ?」
春日東風「いや、今でも腹が立っていますよ」
クマ「まだ腹が立っているって? キミは忘れっぽいのか、根に持つタイプなのか、どっちなんだ? どっちかにしてくれよ」
春日東風「どっちかにしてくれと言われても、現にまだ腹が立っている以上はどうしようもないじゃないですか」
アイチ「あと一週間くらいしたら綺麗に忘れているんじゃないの?」
春日東風「そうかもしれません。……しかし、だとすると、どうも妙な具合になりますね。一週間後に綺麗に忘れられてしまっている感情を今感じていることの意味というのは一体何なのでしょうか?」
アイチ「何って、今感じている感情の意味っていうのは、今しか感じることができないそれっていうことじゃないの?」
春日東風「今しか感じることができないというのは、裏返し、一週間後くらいには、『わたしは何をあんなに怒っていたんだろう』となるかもしれないということですよね。そう考えると、この今の怒りというのがどうも不思議に思えますね」
クマ「怒りは目的のために捏造されたものだという説もあるよ」
春日東風「やめてくださいよ。はやりのアドラー心理学ですか?」
クマ「ふふん、この前アドレリアンと話したから、ちょっと使ってみただけのことさ」
春日東風「感情が目的のために捏造されたものだとしたら、何か感じるたびにそれ以前に目的が設定されていることになりますけど、そんなの忙しくて仕方ありませんよ」
クマ「まあ、そうだろうね。英語なんかでは、感情表現を、たとえば、『感動した』なら、be moved、『いらいらした』なら、be irritated、なんて、受け身形で表わすよね。あれは、字義通りには、『感動させられた』とか、『いらいらさせられた』ってことになるわけだけど、じゃあ、何によってそうさせられたのかと言えば、物事によってということになって、結局それは、その物事をあらしめた神によってということになるわけだね」
春日東風「じゃあ、わたしの怒りも神のせいだってことにしてもいいですか?」
クマ「いやいや、それは、ちょっと不敬じゃないかな。そもそも、ボクらが使っているのは英語じゃなくて日本語だしね」
春日東風「じゃあ、どうして、英語の話なんかしたんです?」
クマ「知識をひけらかしただけさ。そういう気分だったんだよ。その気分がどこから来たかは知らないけどね」
アイチ「こういう話ができるってことはさ、もう大分怒りも収まったってことじゃないの? 東風さん」
春日東風「いや、まだ怒っています」
アイチ「しつこい人は嫌われるよ」
春日東風「嫌われる勇気を持ちますよ」
アイチ「都合の良いときだけ、アドラー心理学を使ってる」
春日東風「まあ、この怒りというものの不思議を感じることができたことを、今回の件の収穫としておきます」
クマ「キミに一つ覚えておいてほしいことがある。人はどんなことからでも収穫を得る、すなわち、学ぶことができるけれど、それが本当に学ぶべきことかどうかということは意識されないもんさ。特に学ぶべきことでもないだろうに、学ぶことができたからって、それでもって喜んでいる。たとえるなら、骨付き肉の骨をしゃぶってここにも味があったって喜んでいるようなもんだよ。ただ学ぶことが大切なことじゃなくて、学ぶべきことを学ぶことが大切なことなんだ。それこそ、キミの人生の時間は有限なんだからね、学ぶべきことにそれを使うことをお勧めするよ」

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