女の子とウサとの哲学的会話「意見を持つことって、大事なの?」

〈登場人物〉
サヤカ……小学5年生の女の子。
ウサ……サヤカが3歳の誕生日にもらった人語を解するヌイグルミ。

サヤカ「うーん……」
ウサ「何を読んでいるの、サヤカちゃん?」
サヤカ「子ども新聞だよ。お父さんが、『そろそろサヤカも社会のことについて知っておいた方がいい』って言って、読むようにって、渡してきたの」
ウサ「面白い?」
サヤカ「面白くないことはないんだけど……あんまり、興味無いかなあ」
ウサ「どうしてサヤカちゃんのお父さんは社会のことについて知っておいた方がいいって思ったのかな」
サヤカ「そうしないとね、自分の意見を持つことができないからなんだって。お父さんそう言ってたよ」
ウサ「自分の意見を持つことって大事なことなのかな」
サヤカ「これも、お父さんが言ってたけど、自分の意見を持っていないと、他人の意見に流されちゃうんだって」
ウサ「自分の意見を持っていると、他人の意見に流されないの?」
サヤカ「そうなんじゃない?」
ウサ「他人の意見に流されることは悪いことなの?」
サヤカ「悪いことなんじゃないかなあ。だって、他人の意見に従って生きるなんて、自分らしく生きることにならないもん」
ウサ「じゃあ、自分の意見が間違っていて、他人の意見が正しかったときはどう?」
サヤカ「え?」
ウサ「そのときでも、自分の意見を貫くことが正しくて、他人の意見に従うことはよくないことになるの?」
サヤカ「それは……その場合は、他人の意見に従うことがよくなるのかな。だって、間違っていることを貫くことが正しいって、意味が分からないもん」
ウサ「だとしたら、大事なことは、自分の意見を持つことじゃなくて、正しいことを知ることだってことになるよね?」
サヤカ「うん……でもさ、ウサ、正しいことを知るって、どういう風にしたらいいの? それって意見を持つようにするっていうこととは違うの?」
ウサ「正しいことを知るためにはね、考えることよ。そしてね、考えるっていうことと、意見を持つっていうことは、全然違うことだよ。考えるっていうのは誰にでも当てはまる答えを知ろうとすることで、意見を持つっていうのは自分なりの答えを持つことだからね」
サヤカ「誰にでも当てはまる答えを知る……そんなことできるのかなあ」
ウサ「サヤカちゃんは、もうそれをやっているよ。わたしと一緒に色々な問題について話してきたよね。それが、考えるってことなの。これまで話してきたことは、わたしの意見でもなければ、サヤカちゃんの意見でもないのよ」
サヤカ「でも、わたしたちが話してきたことが正しいことだっていうのは、どうやって分かるの?」
ウサ「それはね、さらに考えること。本当にそうなのかなって疑って、さらに考えて、これ以上は考えることができないってところまで考えてみることね。それが考えることの楽しさなの。意見はね、持ってしまえば終わりだけど、考えはね、いったん考え終わっても疑うことでさらに先に進むことができるの」
サヤカ「じゃあさ、ウサ。意見って持たなくてもいいの?」
ウサ「それは、その人がどういう風に生きていきたいかによるんじゃないかな。あることについて、それが本当かどうか分からなくてもとりあえずそれを信じて生きていくのか、それとも本当のことを知りたいって思って生きていくのか」
サヤカ「わたしは本当のことを知りたい!」
ウサ「それじゃあ、意見じゃなくて、考えを持つようにしよう。そうして、しっかりとした考えを持とうとすればね、他人の意見に流されることなんかなくなるのよ」

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