女の子とウサとの哲学的会話「言葉が無い世界って、どういうもの?」

〈登場人物〉
サヤカ……小学5年生の女の子。
ウサ……サヤカが3歳の誕生日にもらった人語を解するヌイグルミ。

サヤカ「ヘレンケラーは、サリバン先生から言葉を習う前は、どういう状態だったんだろう。言葉を持っていなかったわけでしょ? 言葉が無い世界って、どういう感じなんだろう」
ウサ「ちょっと想像してみようか。今サヤカちゃんの中から言葉が無くなってしまったとして、そうすると、周囲の世界はどんな風に見えるかな」
サヤカ「えーっと、物は見えているんだけど、その物が何なのかは分からないよね。たとえば、それが机だとか、筆箱だとか。そういう言葉が無いんだから」
ウサ「物が見えているけれどそれが何なのか分からない、言葉が無いからそれを指し示すことができない……でも、それだけかな?」
サヤカ「どういうこと?」
ウサ「そのね、『物』とか『見える』っていうのも言葉だからね。言葉が無いとすると、『物が見えている』っていうこと自体も言えないってことになるね」
サヤカ「えっ、あ、うん……本当だ」
ウサ「とすると、本当に物が見えていることになるのかな」
サヤカ「えっ……でも、もしも言葉が無くても、物を見たり、音を聞いたりっていう、そういう感覚はあるはずでしょ」
ウサ「本当にそう? 『感覚』っていう言葉も無いんだよ」
サヤカ「『感覚』っていう言葉が無くても、感覚そのものはあるんじゃないかな。もしも、言葉が無いときにそのものが無いとしたら、今、言葉が無いものは、存在しないことになるじゃん。そんなのおかしいよ。たとえばさ、今はまだ発見されていない惑星とかはさ、まだ言葉がついていない、名前が無いけど、でも、あるはずでしょ?」
ウサ「うん、でもね、サヤカちゃん、その惑星については、『今はまだ発見されていない惑星』っていう言葉で表現できているでしょ?」
サヤカ「あっ……うーん…………でもさあ、言葉が無いときにそのものが無かったら、言葉を覚える前の赤ちゃんは何も見ていないことになっちゃうよ」
ウサ「言葉を覚える前の赤ちゃんのときに何を見ていたかということは、決して言葉で語ることはできないんじゃないかな。だって、言葉で語ることができないときのことを言葉で語るなんて何をすることなのか分からないことだからね。たまに、赤ちゃんのときに見ていたものを覚えているって言う人がいるけど、それは、本当に赤ちゃんのときに見ていたものだって言えるのかな? 言ったとたんに、そうではなかったものになるんじゃないかな」
サヤカ「なんか変な感じ……じゃあさ、言葉が無いイヌとかネコって、何を見ているんだろう。何かは見ているはずだよね?」
ウサ「彼らが何かを見ているっていうのは、わたしたちが、わたしたちの言葉を使って言っていることだから、彼らが本当の意味で何を見ているのかっていうことは、わたしたちには分からないわ」
サヤカ「でも、わたし、この前、テレビ番組で、イヌやネコじゃないんだけどね、虫の目からだと世界がどんな風に見えるかっていうのを見たよ。モンシロチョウってね、人間の目には見えない紫外線を見ることができるんだって。だから、人間の目とは全然違った風に世界が見えるの」
ウサ「虫の目から世界が見えたらっていうのは、とても素敵な話だけど、やっぱり、その『見る』とか、『紫外線』っていうのは、わたしたちが使っている言葉なのよ。彼らには、その『見る』とか、『紫外線』に当たる言葉が無いっていうことが、問題なの」
サヤカ「じゃあ、あの番組の映像ってなんなの?」
ウサ「虫の目を通して『人間が』世界を見たらどうなるかっていうことを表したものじゃないかな」
サヤカ「虫の目を通して『人間が』世界を見たら……? ……でも、ウサ、それっておかしいよ。だってさ、人間は、虫の目から世界を見ることはできないんでしょ。紫外線をとらえることができないんだから。それなのに、『見たら』なんて言ったらさ、見えないものが見えていることになっちゃう」
ウサ「そういうことになるね。人間の目には紫外線をとらえることはできないはずなのに、その紫外線をとらえた映像を作ってそれを見ることができるっていうことは、実は、人間の目は紫外線をとらえることができることになっちゃうね」
サヤカ「なんかこんがらがってきちゃった……」
ウサ「そこが言葉の面白さなの。『虫の目から見た世界』って言った時点でね、そういう世界が生まれちゃうのね。そうして、そういう世界が本当にあることになっちゃうの。それが言葉の力だからね。でも、本当にその言葉が示すものがあるのかどうか、よーく考えてみてね」

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