少女とクマとの哲学的対話「時が過ぎ去るということ」
〈登場人物〉
アイチ……高校2年生の女の子。
クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。
〈時〉
大みそか
アイチ「一年が終わるね」
クマ「うん、終わるね」
アイチ「なんだかあっという間だった気がするなあ」
クマ「あっという間だったかな」
アイチ「うん」
クマ「それじゃ、そうなのかもしれない」
アイチ「こうしてあっという間に一年が過ぎたらさ、あっという間に十年が過ぎて、あっという間に人生が過ぎているのかもしれないね」
クマ「まったくその通りかもしれない。大みそかになって、あっという間の一年だったと思うのと同様に、人生の終わりの日になって、あっという間の人生だったと思うかもしれない」
アイチ「だからこそ、一日一日を大切にってことになると思うんだけど、でもさ、クマ、一日一日を大切に過ごしても、それだからって言って、あっという間だって思わなくなるわけじゃないよね」
クマ「その通りだ。一日一日を大切に過ごしても漫然と過ごしても、どちらにしても、『あっという間』感が、消えるわけじゃない。これは一体どういうことになっているんだろうか。それは、おそらくね、過ぎ去ってもう二度と還らないものに対する哀惜の念がそう思わせるんじゃないかな。未来ばかり見ている人は別だけどね。振り返るということが、そのものを哀惜の念で見るというそのことなんだね。そうすると、どうしても、『あっという間』感に襲われることになる」
アイチ「それぞれの人にそれぞれの人生があって、いろいろとその人生の過ごし方は違ったとしても、振り返るときには、みんな、『あっという間』だって思うとすると、それって何だか妙な話だよね?」
クマ「本当にそうだね。でも、やっぱりそうとしか思えないんじゃないかな。なぜだかそういう風な造りになっているんだね」
アイチ「大みそかじゃなくたって、たとえば、昨日の12月30日だって、去年の12月30日から一年経っているわけだから、昨日から一年振り返ることもできそうだけど、でも、どうしてか、大みそかに振り返っちゃうの」
クマ「節目の日だからね……って、それだけで済ませちゃうには惜しい考えだね。そうなんだ、人は節目の時にしか過去を振り返らないけれど、日々が節目だって言えなくもない。毎日がその日一日しかないんだから。毎日振り返ったっていいんだ。まあ、でも、どうして振り返らないのかっていうと、話は簡単で、節目じゃないときには節目を迎えるために何やかや忙しくしているから、そんなことしているヒマが無いからだね」
アイチ「節目の時にだけ、みんな一斉に過去を振り返るっていうのも、面白いよね」
クマ「それは、やっぱり、季節というもののせいだろうな。季節がめぐって、大みそかがやってくる。この向こうからやってくるっていう感覚がね、これまで過ぎ去ったものを振り返らせるんだろうな。もちろん、大みそかは向こうからやってくるんだよ。ボクらが呼び寄せているわけじゃないんだから。でも、どうしてやってくるんだろうか。ボクらが呼び寄せているわけでもないのに。呼んでもないのにやってくるなんて、あつかましいことじゃないか」
アイチ「でも、それ以外にどうしようもないよね」
クマ「そう、どうしようもない。大みそかが来ることを拒否することはできない。どうも、ボクらは不自由極まりない存在だね。時間を止めることさえできないんだから」
アイチ「今日が終わって、また一年、そうして来年も終わって、また一年、さらにその次の年も……なんでこんなことになっているんだろう。どうして、あることはそのことで他の何かじゃなかったんだろう。また来年の大みそかも同じように思うとしたら、わたしにとっての一年って、いったい何なんだろう」
クマ「一年が過ぎるということが、いったい何が過ぎることなのか、これを子細に眺めてみることは、人生の意味を考えることに確実につながってくる。過去を振り返って『あっという間』感にひたるのもいいけれど、一年が過ぎるということの不思議をしっかりと感じられれば、これ以上の大みそかの迎え方は無いんじゃないかな」
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