お嬢様とヒツジとの哲学的口論「議論って、する意味あるの?」

〈登場人物〉
マイ……中学1年生の女の子。色んなことに腹を立てるお年頃。
ヒツジ……人語を解すヌイグルミ。舌鋒鋭め。

マイ「あーあ、本当にムカつく! 今日学校でディベートをしたんだけどさ、わたしたちのグループの方が負けちゃったんだよ。絶対、こっちの方が正しいと思うのにさ!」
ヒツジ「そりゃ残念だったが、そもそも、ディベートっていうのは、別に、正しさによって勝敗が決するものじゃないからな」
マイ「正しさによって勝敗が決するんじゃないとしたら、何によって決するのよ?」
ヒツジ「正しさ『らしさ』だな」
マイ「正しさ『らしさ』って何?」
ヒツジ「ディベートにはジャッジがいるだろ。そのジャッジが正しいと『思っている』ことだ。正しさそのものではなく、あくまで、ジャッジが正しいと思っていることによって、勝敗が決まるんだ。つまり、自分たちの考えを、ジャッジに正しいと思わせることが大切なことであって、実際に正しいかどうかなんてことは関係が無いんだ」
マイ「ちょっと待ってよ。それじゃ、ディベートに勝っても、それは、ただジャッジが正しいと思ったってだけで、本当に正しいかどうかは分からないってこと?」
ヒツジ「その通りだ。ディベートっていうのは、どうすれば、第三者を説得できるかという技術をトレーニングするものであって、それによって、本当に正しいことに近づくための手段じゃないんだ」
マイ「……それって意味あるの?」
ヒツジ「意味はあるだろ。まさに第三者を説得しないといけないときに、どうすれば相手より説得力が出るかを鍛えることができるという意味が」
マイ「でもさ、ただそれだけで、ディベートをしたって、真実が明らかになるわけじゃないんでしょ……それって、あんまり意味無いような気がする」
ヒツジ「まあ、その意味では、意味は無いな。真実を明らかにしたいなら、自分で考えるしかない。ディベートもそうだが、直接に相手とやり合う議論なんていうのも、真実を明らかにするという目的のためには、ほとんど意味は無い」
マイ「でも、議論することによって、考えが深まることもあるんじゃないの?」
ヒツジ「お前はこれまで人と議論したことによって、自分の考えが深まったことがあったか?」
マイ「……人じゃなくて、ヌイグルミとだったら、あるけど」
ヒツジ「オレは例外だ。他には?」
マイ「うーん……無いかも」
ヒツジ「なぜ無いか。そもそも、議論するヤツらっていうのは、どういうヤツかと言えば、あることについて中途半端な考えを持っているヤツなんだ」
マイ「どういうこと?」
ヒツジ「もしもあることについて究極的なところまで考えていき、もうそれ以上先に考えることができないというところまで至れば、他人と議論する必要なんて無いだろう。他人と議論するということは、考えがまだ尽くされていないということなんだ。つまり、議論する人間というのは、中途半端な人間ということだ。そんな人間同士が議論しても、その中途半端さが増すだけだろう」
マイ「でも、自分の考えが正しいかどうかって、他人に聞いてみないと分からないじゃん」
ヒツジ「本当にバカだな、お前は。それなら、仮にその他人が、『あなたの言うことは正しい、わたしもそう思う』と言ったとして、その発言の正しさは、誰が保証してくれるんだ?」
マイ「それは……でもさ、そしたらさ、よくよく考えて自分が正しいと思うようになってもさ、それはもしかしたら、自分がそう思っているだけかもしれないんだから、本当に正しいかどうか分からないわけでしょ?」
ヒツジ「だから、本当に正しいかどうかさらに考えるんじゃないか。真実を知りたい人間というのは、そうやって自分の考えを考えることに忙しくて、他人と議論している暇なんて無いんだ」

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