少女とクマとの哲学的対話「ただ生きているだけでは価値は無いのか」

〈登場人物〉
アイチ……高校2年生の女の子。
クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。
〈時〉
2021年衆院選前

アイチ「ネット記事読んでいるの、クマ?」
クマ「うん、どうも、ここのところが気になってさ」
アイチ「どれどれ……ああ、れいわ新選組の山本太郎さんの発言だね。『何があっても心配するな、そういう国づくりをあなたと一緒にやっていきたい。生きているだけで価値がある社会。そういう国を作っていきたいと。』」
クマ「その中の、『生きているだけで価値がある社会』っていう、ここのところなんだけどね。それを作っていきたいっていうことは、今はそうなっていないということを言っているわけだよね。今は、生きているだけでは価値が無い社会なんだって」
アイチ「まあ、そうだね。コロナもまだ収束したわけじゃないから、よっぽどなんじゃないかな」
クマ「コロナ対策をばっちりやって、生活基盤をしっかりとさせることで、生きているだけで価値がある社会ができるわけか」
アイチ「そう言っているね」
クマ「彼は政治家だから、そういう風に国民にアピールすることはいいとしても、この、生きているだけで価値があるとか無いとかいうことが、ぼくには本当に不思議なことなんだ」
アイチ「確かにね。みんな、生きていることと価値があるということを、どうしてか結びつけようとするよね。生き甲斐なんていうのは、その言い方の最たるものだと思う。生き甲斐って絶対に見つけないといけないのかな。生き甲斐無いと生きていてはいけないのかな」
クマ「そうなんだよ。ただ生きているということをそのままにしてはおけずに、生き甲斐とか生きる価値とか幸福とか言い出すんだけど、じゃあ、生きてここに在るっていうことがどういうことなのかっていうことをきちんと考えているのかって言えば、必ずしもそういうわけじゃない。そのところは、すでにクリア済みってことになぜだかなっているんだな」
アイチ「わたしにとっては、全然クリア済みなんかじゃないけどなあ」
クマ「ボクにとってもそうだよ。あるものに価値があるかどうかっていうことを確かめるためには、まずはそのものの何であるかが先に分かっていないといけない道理だよね。ただの石ころに見えるものに価値を見いだせるのは、そのものが実は宝石の原石だとか化石だとかいうことが分かるからだ。じゃあ、生きていることっていうのは、一体どういうことか」
アイチ「生活するっていうことになっちゃってるね」
クマ「いやはや、本当にそうなんだな。生きていることっていうのは、イコール生活するっていうことになっちゃっているんだよ。だから、生活するための条件を整えたり、生活に有利なことをするっていうことが、価値のある生き方っていうことになるわけなんだね。でも、それって本当にそうなんだろうか」
アイチ「わたし、たまに考えるんだけど、たとえば、死期を間近にした人でも、生活のことを考えるのかな?」
クマ「まさかそんなことはないだろうね。明日をも知れない命の人が、今後の自分の生活の諸条件をどう整えて行こうかなんてこと考えもしないだろう。そんな自分の生活なんてものが丸ごとなくなるわけなんだから」
アイチ「そういうときにさ、もうすぐ丸ごとなくなるもののためにこれまで生活して一生懸命やってきたってことに対して、なんだか変な気分にならないのかな」
クマ「なるかもしれない。そこでこそ、『生活』から『人生』への転機が訪れるかもしれないね。でも、それじゃあ、あまりに遅すぎると言うべきじゃないかな」
アイチ「早くても遅くてもいいんじゃない」
クマ「それもそうなんだけどね。早くても遅くてもいいとも言える。別に人生の意味に気がついたからといって、それがどうだというわけでもないからね。でも、やっぱりそれは寂しいことなんじゃないだろうか」
アイチ「そうすると、もしかしたら、かえって気がつかない方がいいのかもしれないね」
クマ「そうかもしれない。一生、それこそ死の際にも気がつかずに、我が人生に一片の悔い無しで終われる人生の方が幸福だろうね。ただ、それは真実じゃないんだな。幸福な人は、真実の人生を生きることはできない。なぜって、人生の真実とは、幸も不幸も無いということだからね」
アイチ「なんでそんな風な造りになっているんだろう」
クマ「本当にね」
アイチ「なぜ、あるものは何かでしかないんだろう」
クマ「あるものがあるものでもあり、なおかつ、別のものでもあることができないのはどうしてなんだろうね」
アイチ「そんな訳の分からないものを抱えているっていうことだけで、生きていることには価値があるとも言えるよね」
クマ「そうなんだ。全く訳の分からないものを携えて今ここにいるという、そのことだけ、いや、そのことこそが価値があるものであって、それ以外の、生活の便宜みたいなものはね、まあ、吹けば飛ぶようなものなんだよ。この衆院選だって、そうさ。選挙によって生活が変わる。だとしたら、それはそれなりには重要なことだろう。でも、それによって、存在の形式が変わるわけじゃない。自民党が勝とうが、それ以外の党が勝とうが、ここにこうしてボクたちが生きて死ぬというこの形式が変わるわけでは全く無いんだ。だとしたら、その党が勝とうが、どうでもいいことさ。世の中は、なるようになる」
アイチ「わたし、あんまり政治には興味が無いんだ。だって、あんなの、その時に何かしらの理由で権力がある人が、好き勝手にしていることに過ぎないでしょ。そういう人が行うのが政治で、そういう風にして行われるのが政治なんだから」
クマ「政治に無関心なのはいけないとみんなは言う。それは生活に密着したものだからだと。でも、だとしたら、人生に無関心なことはどうなんだろうか。生きて死ぬというこのことに無関心で、政治にばかり気をつけていることはいいことなんだろうか。たとえば、70歳の人が今の政治はけしからんと言う。しかし、そういう人は一体いつまで生きているつもりなんだろうか。まあ、この頃、平均寿命が長くなって、70歳じゃまだまだ若いだろうし、そもそも、国会議員にも70歳を越えているのなんてザラだからね。でもさ、そろそろ人生の終盤にさしかかる人がだよ、人生の何であるかを考えもせず、相も変わらず政治が悪いなんてことを言っているのを見聞きすると、げんなりするものを覚えずにはいられないよ」
アイチ「みんないつまで生きているつもりなんだろう」
クマ「人はみないつかは死ぬと人は言うね。しかし、いつか死んでいるのは、全部他人であって、自分はまだ一度も死んだことがないということのこの意味をきちんと考えてみないといけない。いつか死ぬから今を大切に生きましょうという言い方は、いつか死ぬということを前提にしているわけだけれど、そう言っているその人は死んだことはないわけだ。だとしたら、どうして、いつか死ぬということが言えるのか。そうして、いつか死ぬ『から』今を大切にということにどうしてなるのか」
アイチ「人生を無駄にしないよう無駄にしないようにって効率を重視して生きる生き方それ自体は無駄じゃないのかな」
クマ「そういう生き方をしている人は、そもそも、そんなことを考えることも無駄なことだとして排除してしまうだろうね」

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