お嬢様とヒツジとの哲学的口論「更生するのがエラいなら、普通の方がもっとエラい!」

〈登場人物〉
マイ……中学1年生の女の子。色んなことに腹を立てるお年頃。
ヒツジ……人語を解すヌイグルミ。舌鋒鋭め。

マイ「若い頃に不良だったけど、今は更生して真面目に暮らしているっていう話がさ、時々、いい話みたいに紹介されるけど、バカじゃないの? それなら、もともと不良にならなくて、真面目に暮らしている方が、もっといい話のハズじゃん! 何でみんな更生した話なんかに飛びつくの!?」
ヒツジ「簡単なことだ。もともと不良にならなくて、真面目に暮らしているヤツなんていうのは、ごまんといて、おおかたはみんなそうなんだから、そんな話なんて聞いても、しょうがないからだろ。それより、どん底に落ちてから這い上がったヤツの話の方がインパクトがあって面白いんだ」
マイ「面白いってことと、それがいいってことは、別のことでしょ!?」
ヒツジ「そりゃその通りだ。だが、世間のやつらは、面白いことは好きだが、いいことなんかには興味が無いんだ」
マイ「面白ければ、あとはどうでもいいってこと?」
ヒツジ「ま、その通りだな。というか、そもそも、いいことっていうことがどういうことなのか、それが分からない。いいことに関する感受性っていうのが、完全に欠けているんだな。だから、『面白いこと』と『いいこと』を、秤にかけることさえできないんだ」
マイ「わたし、ああいう、不良更生話を聞くたびに、イライラするんだよね」
ヒツジ「ありがたがることもないが、別に、そこまで毛嫌いしなくてもいいだろ。事実、更生はいいことなわけだから。それとも、お前は更生しないままの方がいいって言うのか?」
マイ「そうは言わないけど……だいたい、更生しない『不良』のままの方が『いい』んじゃ、意味分からないし……でもさ、そんなもの、誰にも言わなければいいじゃん。過去に不良だったなんてことは、恥ずかしいことのはずでしょ? なんで、その恥ずかしいことを、堂々と語るのよ!」
ヒツジ「まあ、そりゃその通りだな。今の自分がいいからって、過去の自分がよかったことにはならない。たとえ、別の目的があって、たとえば、同じような境遇にある人間に更生のきっかけを与えるためだったとしても、いや、そうであればなおさら、堂々と語るべきものじゃない」
マイ「これじゃあさ、悪いことした方が得じゃん。悪いことをすればそれだけで得できた上に、あとから、更生すればそれも得になるんだから」
ヒツジ「お前にしては冴えてるな。悪いことをした上に、あとから更生すれば、悪いことをしたことで得になった上に、更生したことで他人から注目されることで、得の二重取りになる。ただ、それにはバランス感覚が必要だな」
マイ「どういうこと?」
ヒツジ「あんまり悪いことをしすぎると、更生なんて話にならないってことだ。不良程度なら更生も楽かもしれないがな」
マイ「悪いことをしすぎると、更生の可能性がなくなるってこと?」
ヒツジ「そうだ。その場合は、果たして得なのか、損なのか。人生のどん底まで落ちたっていう言い方がされるわけだが、どん底なんていうのは、まだマシなのかもしれない。どん底なら、まだ這い上がれるからだ。本当の悲劇は、底なんていうものが無い状態なんじゃないか? どこまでも落ちたまま、這い上がろうとしても、這い上がるための足がかりがない。そういう状態を思えば、更生話なんていうのは、悲劇めいた喜劇で、そんなものに感動することはもちろんのこと、イライラすることもなくなるさ」

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