宮泉銘醸(福島県・会津若松市)「寫樂 純愛仕込純米酒初しぼり」

※ショートストーリーとともに、日本酒のご紹介をします。日本酒に興味が無い方に読んでいただいて、日本酒に興味を持っていただき、実際に日本酒を召し上がっていただけたらと思います。福島住まいなので、ご紹介する日本酒は、どうしても福島のものが多くなります。

 絵利香は、目を見張った。

 その切れ長の目を、一杯に見開いた。

 彼女の目前にガラスの陳列ケースがある。

 その中に、大きめの瓶と小さめの瓶が並んでいる。

 瓶につけられたラベルはおおむね漢字表記であり、ごくたまに英字がある。

「え、ウソでしょ……」

 いや、しかし、確かにこれは……。

 絵利香は、ゆっくりとガラスケースを開けた。

 ひんやりとした冷気が流れ出す。

 価格カードの上部にお一人様一本限りと書かれたそれは、最後の一本になっているようだった。

 モノを確かめてみる。

 福島は会津若松市にある宮泉銘醸の寫樂《しゃらく》。

 日本酒である。

 しかし、ただの日本酒ではない。

 非常に人気のあるお酒で、ネットではプレミアムがついている。

 絵利香はまるで万引きでもしようとしているかのように、周囲を窺った。個人店の酒屋は、しかし、綺麗なブースでしつらえられており、絵利香の他にいる数名の客の中には、絵利香同様二十代の女性も見えた。幸いにして、この最後の一本に気がついている人はいないようである。

 絵利香は、よく冷やされた一升瓶をぐいっと手に取った。一月上旬の現在、冷酒を手に取れば思わずぶるっと身震いするような時季であるけれど、そうして、現に身を震わせた絵利香だったが、それは冷たさによるものではなかった。

 絵利香はおそるおそるレジへと運んでいった。

 そうして、支払いをお願いする。

 もしか、常連客にしか売っていないのではないかと恐れたけれど、そんなことは全く無かった。

「まさか、寫樂が買えるとは思いませんでした」

 興奮のあまり口走るようにした絵利香に、レジのお兄さんは、さきほど入荷したばかりであると教えてくれた。

 運がいい。

 初めて入った酒屋で、これまで飲んだことがない、ずっと飲みたいと思っていたお酒が買えるなんて。

 一月にして、今年の全ての運を使いきったかもしれない、と絵利香は思ったが、なに悔いはない。

「お足もとにお気をつけて」

 レジのお兄さんの親切な一言を受けなくても、もちろん、気をつけるつもりである。寒風の吹く中、細心の注意を払って車まで連れていった寫樂に後部座席に鎮座していただくと、絵利香は、SNSを使って、日本酒好きの友人に掘り出し物を自慢した。

 すると、ほとんど瞬時に、「飲ませろ」という返信が、総勢四名から来るではないか。

 しまった、と絵利香は、ほぞをかんだ。

 まず飲んでから自慢すべきだった。

 今日が金曜日であることもあって、みな絵利香の部屋に集まるということになってしまった。

――えーと、一升だから十合だよね、ということは、五人だから一人二合か……。

 絵利香は素早く一人分の量を計算した。

 そうして、気分を改めた。二合飲めれば十分である。絵利香はそれほど酒豪というわけではない。

 車を出した絵利香は、後ろに大統領でも乗せているかのように慎重に運転した。

 自宅マンションに帰り、冷蔵庫の中に一升瓶を入れて、しっかりと保管すると、すぐにインターホンが鳴るではないか。

「見せて!」

 友人はコートを脱ぐと、開口一番、ブツの確認をしたがった。

 絵利香は、冷蔵庫の中に入っている一升瓶を見せた。

 友人は、どこでゲットしたのかを聞きたがった。絵利香が今日行ったお店を教えると、

「今度わたしも行こう!」

 と言ったあとに、絵利香を見て、

「ねえ、エリちゃん」

 猫撫で声を出した。

「な、なによ、気持ち悪い」

「他のみんなが来る前に、ちょっとだけ味見しちゃおうよ」

 絵利香は首を横に振った。

「だ、ダメだよ。みんなに恨まれるじゃん。わたしが買ったものだけども」
「いいじゃん、いいじゃん、ちょっとだけだよぉ」
「ダメダメ! こういうところから、友達同士の仲って悪くなっちゃうんだから。こんないいお酒で、友達同士の仲悪くしたら、アホでしょ」
「ぶー……てか、わたしにだけ知らせてくれればよかったのにぃ」

 友人は未練ありげな目をしながら、しかし、聞きわけてくれたようである。

 一人目のハイエナ……もとい友人が来てから、三十分以内に残りの三匹……もとい三人がやってきた。みな一様に寫樂を見ると、長嘆息した。

「エリカと友達でよかったあ」
「うん、うん、自己中なところにも目をつぶっておいてよかったなあ」
「ホントホント、寫樂を見つけるなんて、人間誰にでも優れたところはあるんだねえ」

 絵利香は、自分一人で飲まなかったことを後悔した。

 みんなが持ちよってくれた乾き物やらご飯ものやらを広げて、いよいよ、絵利香は、一升瓶の栓を抜き、五つのワイングラスにたっぷりと、寫樂を注いでやった。

 四人から吐息が漏れる。

「わたし、寫樂飲むの初めてだよ」
「わたしは二回目」
「わたしは居酒屋でちびちび何回か飲んだことあるけど、こんなにたっぷりは無い」
「あー、もう我慢できない!」

 グラスを持って、まずは香りをかぐと、花のような香りがする。このグラスに入れたときに発する香りのことを上立ち香《うわだちか》と言う。

「ああ、いい匂い」

 ひとしきりうっとりとしたあとで、いざ飲んでみると、絵利香は目が覚める思いだった。爽やかな甘みが口の中いっぱいに広がって、しかし、舌にはまったく触らず、すっきりと喉へとすべり落ちていく。米の旨みをしっかりと感じながら、軽やかでキレがある。

 友人たちのうちの一人が、

「飲んだあと、桃みたいな香が残るね」

 と言えば、

「いや、これはバナナでしょ」

 また別の一人が言った。絵利香はマスカットのような感じがしたのだけれど、何であれ、

「うまい!」

 という一点では、みんなが同意した。

「ああ、日本人でよかった」

「いくらでも飲めそう!」

 そう言って、みなすいすいと飲んで、すぐにグラスを空にしてしまった。

 もう一杯ずつたっぷりと注いでやってから、

「これ、食中酒らしいんだけど、食事中に取るのはもったいないくらいのお酒だね」

 絵利香が言うと、みんなも同じ気持ちのようであり、誰一人おつまみに手を出そうとしない。

 絵利香は、このお酒を作ってくれた宮泉銘醸と、この日本酒を味わえる自分に感謝した。

 すぐにも五人のワイングラスの中身は半分がたなくなってしまう。

 一升の瓶がおそらく一時間持たないだろうと、絵利香は推量した。

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