マガジンのカバー画像

形而上エッセイ「分かる人にしか分からない話」

166
運営しているクリエイター

2018年9月の記事一覧

自分が正しいと思っている人の言葉しか、わたしは信じない

誰の言葉だったか忘れたけれど、

「『自分は正しい』と思っている人の言葉を私は信じない。『自分は間違っているかもしれない』と思っている人の言葉の方が信用できる」

という言葉がある。誰でも言いそうなことで、誰の言葉か調べる気にもならない。ただし、誰でも言いそうなことというのは一概にバカにしたものではなくて、誰でも言いそうであるがゆえに、それは普遍に通じている場合もある。

しかし、わたしは、この言

もっとみる

読んで分かる、読んでも分からない

 人に何かを伝えるために文章を書いているわけだけれど、その伝えたい気持ちと等量に、伝えるために言葉を尽くすのが面倒くさいという気持ちもある。わたしは、基本的に、分かる人に向けてしか書いていないので、分かる人は言葉を尽くさなくても分かるだろう、とまことに正当かつ手前勝手な考えを抱きながら、文章を書いていることがほとんどである。これではいくら書いても、書き方が洗練しない道理だ。

 とはいえ、分からな

もっとみる

他人の語る人生論がくだらない理由

他人が語る人生についてのありがたいお話は、全てくだらない。なぜか。例えば、人生に関して、こういう意見があるとする。「人間は好きなことをして生きるべきだ」と。近頃よくよく聞く意見である。これに対しては、 以下のような反論が可能である。「いや、人間は自分の好きなことばかりして生きるべきではなく、世のため人のために生きるべきである」と。この反論が支持されるかどうかということは問題ではない。問題は、こうい

もっとみる

誰も人生を鳥瞰することはできない

 人が何かに向けて頑張っているのを見聞きすると、こう何となく萎えるというかゲンナリとするものを覚えるのは、年を取ったからかもしれないが、加齢のせいだけでもない気がする。というのも、年を取っても、何かに向けて頑張っている人はいるからである。いや、世は大生涯学習の時代、齢を重ねてからこそ、ますます頑張ろうという人の方が、あるいは多いのかもしれない。

 あらかじめ断っておくが、そのような人をバカにして

もっとみる

悟りを語る人の嘘

「悟り」について語る人がいる。いる、どころか、このところ仏教ブームなのかなんなのか、やたらといる印象がある。

唐突ではあるけれど、悟りを語る人は、全て嘘つきである。なぜなら、悟りは語ることができないからだ。これは、悟りというものが、非常に奥深いものだから、簡単に言葉にはできない、というような話ではない。

悟りが何であれ、他によらない、絶対的な状態であるとすることに異論は無いだろう。ところで、絶

もっとみる
哲学を学んでいたことがあった!

哲学を学んでいたことがあった!

 対話をいくつか書いている。

少女とクマとの哲学的対話
女の子とウサとの哲学的会話
お嬢様とヒツジとの哲学的口論
哲学者に相談してみよう!

 えらそうに、「哲学」というタイトルをつけて、ノートを書いているが、わたしは哲学を専門的に勉強したことはない。全くの独学である。……と思っていたら、専門的にではないけれど、大学の教養課程において2年間、「哲学」の講義を受けていたことを思い出した。いや、これ

もっとみる

感受性が無い人が理論武装する

自分の人生について、誰かの言葉を引っ張ってきて語る人がいる。ニーチェはこう言った、アドラーはああ言った、などなど。こういう人たちは、人生を不思議と感じる感受性が欠けた人たちである。なぜなら、人生を不思議と感じれば、どこそこの誰それが人生についてこう言ったなどということには、興味が無くなるからだ。感受性は無いけれど、いや、無いがゆえに、人生を自分の思い通りにできると思って、どこかの誰かの理論によって

もっとみる

ぼんやりと物を考える妙味

 ぼんやりと物を考えるのが好きだ。あることについて、ああでもないこうでもないと考え続けることには、得も言われぬ妙味がある。結論が出るかどうかなんてことはあんまり関係がなくて、そのプロセスが楽しい。そもそも、わたしが考えていることは、何をもって結論とすればいいことなのか分からないようなことである。ペンはどうしてこの形だったのだろうか、他の形ではいけなかったのか、などとそんなこと考えても結論が出るはず

もっとみる

過ぎるに任せる日々

一日一日を功利的に生きることができない。人生全体を俯瞰して、最終的な目標のために今日なすべきことをなすという考え方が取れない。途中で死んだらどうする、という気がどうしてもする。

だからといって、刹那的に生きることもできない。その日が目いっぱい面白ければいいじゃないか、明日は野となれ山となれだ、という考え方も取れない。生きてしまったらどうする、という気がするからだ。

では、日々に感謝して生きるか

もっとみる