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自分が好きか否かという問

お疲れ様です。

最近アルバイトの後輩から「自分が好きになれないんです」という悩み相談を受けたので、個人的な考え方というか自分の思考の捌け口としてnoteに書いてみようかなと思います。

好きか嫌いかで答えるなら結論、私は自分が好きなんだと思う。
ただ、「好き」とは少しニュアンスが違う気がする。
私の場合好きでも嫌いでもなく、「私という人間に折り合いをつけている」と言う方が正しい気がする。

このように考えるようになったのは、人生で唯の一度だけ「病む」と言う経験をしたからだろう。
病むという経験は誰にでもあることだと思う。ただ、病むという経験をする人は元々メンタル的に不安定な雰囲気がある人が多いように思う。(失礼な表現かもしれない)私は少し、そういった方々とは異なる。
私は幼少の頃から今までずっとスポーツをして生きてきた。だからメンタル的に参ってしまうことは、21の春まで一度もなかった。
自分が下手で怒られて殴られて泣くけれど、悔しいと思えるから決して折れない。そんな少年だったと思う。
まぁ捉え方を変えれば脳筋なんです。

ただ、その一方で何かを頭の中で考え続けることは得意だった。
幼い頃は空想の世界で遊ぶことが好きだったし、くだらないことに疑問を抱いて授業中も考え続け、勉強に身が入らなかったこともある。
だから私は「病む」という経験に際しても、何かで発散する、というよりはひたすらに考え続けていた。
バイトの後輩には「あの頃の先輩は無表情で怖かったですよ」と言われたし、母には「最近笑わないけど大丈夫?」と問われた。
そんな状況でも何が原因で、何がいけなくて、どう改善するべきなのか、ひたすら考え、本を読んだ。編入で大学に入学したタイミングで右も左もわからなかったが、それでも大学にも通い続けた。

様々な気付きがあったが、その時に「自分に折り合いをつける」ということを学んだ気がする。

相談をしてくれた後輩は「人と比べると自分を嫌いになるし、誰かに愛されていないと嫌いになる」と言っていた。
本人には言えなかったがとても虚しいと感じた。
自分が自分らしくあることを認められないことがここまで人を不自由にするのか。

少し話が逸れるが、元はアジカンの曲で私は結束バンドで認知した曲に「転がる岩、君に朝が降る」という曲がある。
聞いた瞬間にぼざろで1番の曲だと感じた。そしたらアジカンで少し悔しかった笑
この曲の歌詞がまぁいいんですねぇ。

嗚呼、、
何を間違った?それさえもわからないんだ
ローリングローリング
初めから持ってないのに胸が痛んだ
僕らはきっとこの先も心絡まって
ローリングローリング
凍てつく地面を転がるように走り出した

この歌詞が自分の思考とマッチしすぎててとっても響きました。
感想を共有することはしたく無いので、是非皆さんもアジカンでも結束バンドでもこの曲を聴いていただきたい。

私は自分に折り合いをつけているから悩むことがないか、というと違うんです。
私にだって私の嫌いな部分。他人を羨ましいと思うことはある。
例えば、私は先輩に好かれる後輩になれたことがない。スポーツは人においては聞くよりも自分で工夫したり考えることが好きだったから、先輩と絡まなかったし、そもそも多くの人と仲良くすることがめんどくさかった。
この反対を自然にできる人はすごいし羨ましい。

でも、無理をしてコレをやろうとするのは違うと思っています。確かに羨ましいが、できなくても生きていけるし、私は私として在れる。
なんというか少し表現が難しいですね。

誰かを羨んで自分を悲しむよりも、そんな自分も自分だと受け入れて前を向く?みたいなことかなと思います。
その人を羨んだところで、自分はどうせそれをできない。悲し表現に聞こえますが、自分にできないことを諦めたのでしょう。その分自分の個性や自分にできることを大切にした方がよっぽど人生は豊かになると思う。

こんな感じに私は自分のことを捉えるようにしています。
たくさん友人がいる人を羨んだこともあるし、先輩と仲良くできる人を羨んだこともある。だけど1人もいいものだと思えます。
私にも少なくも仲の深い友人がいるので、折り合いがつけられます。

これらは全て私の一意見にすぎません。もし私の後輩と同じように悩んでいる方がいて、少しでも参考になれば嬉しいです。
前向いて生きていきたいですね。頑張りましょう。

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