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ブルックスブラザーズ〜ぼくと日本ファッションの原点〜

先日、米国のブルックスブラザーズが破産申請したとのニュースが駆け巡った。アメカジやアメトラの影響が根強い日本人にとってブルックスブラザーズは特別なブランドであるとともに、日本メンズファッションの原点でもある。今日はそんなブルックスブラザーズと日本、そして個人的な想いについて語りたい。

ブルックスブラザーズのメンズファッションにおける影響

ブルックスブラザーズのは世界最古の紳士服専門店である。それまで誂え(オーダーメイド)が基本であった紳士服に既製服の概念を持ち込んだのがブルックスブラザーズだ。

ブルックスブラザーズが発明したNo.1サックスーツは従来の曲線が多く用いられたオーダーメイド由来のパターンではなく、ストレートの直線パターンが多用されている。これによって工場での大量生産が可能になったのだ。

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このサックスーツの特徴は以下の2点
・絞りのないボックスシルエット
・極薄いパットを用いたナチュラルショルダー
この2つの特徴はオーダーの肝である肩からバストのフィット感を簡略化させ、多様なアメリカ人の様々な体型をカバー出来る仕様であり、伝統的なアメリカのスタイルとして今も多くの人に親しまれている。

またボタンダウンシャツを発明したのもブルックスブラザーズだ。流行りすたりのないボタンダウンシャツは永遠の定番品の一つだ。

そしてブルックスブラザーズは日本のメンズファッションにも大きな影響を与えていく。

アメトラが育まれた日本の地

日本初のファッションブランドであるVANヂャケットの創始者、石津謙介が日本の市場向けに注目したのがアメリカントラディショナルスタイル、派生したIVYルックというスタイルだ。

七三分けに、金ボタンブレザー、ボタンダウンシャツ、レジメンタルタイという一度は目にしたことがあるスタイルは石津が雑誌MEN’SCLUBと仕掛けて1960年代に一大ブームを巻き起こす。

石津が自社の商品を作るために参考にしたのが本家ブルックスブラザーズのブレザーやボタンダウンシャツだ。当時は固定為替で1$360円、輸入して売るのは非現実だったのだが、売れないならば似たものを作ってしまえという発想だ。インポートブランドを各セレクトショップが模倣する発想の先駆けである。

こうして社会現象となったアメリカントラディショナルはファッションの流行り廃りの流れに乗り何度かブームが起き現在に至る。日本人は世界一アメリカのファッションが好きな国民と言われているのはこの時の影響が今でも色濃く根付いているからだ。

僕とブルックスブラザーズの出会い

僕が初めてブルックスブラザーズを認識したのは今は廃刊になってしまった一冊の雑誌がきっかけだった。

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2010年頃だと思うが今はなきFree&Easyという雑誌が推していたのがゴールドメタルボタンのブレザーであった。当時、服は好きだがスタイルやその背景にある文脈まで読み込むには至っていない僕に「これだ」という天啓みたいなものをくれたのがこの雑誌だ。

誌面ではブレザーといえばVANが作ったアイビースタイル、そしてその礎を作ったアメリカントラディショナルの始祖たるブルックスブラザーズについて事細かに言及されており、いつしかブルックスブラザーズは僕の憧れのブランドとなっていった。中でも代名詞とも言えるボタンダウンシャツはずっと切らしたことのない文字通りぼくの定番アイテムだ。

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日本のブルックスブラザーズといえば移転が決まった青山店が有名だが、僕が好きなのは丸ノ内店だ。魅力溢れる四季折々のウィンドウディスプレイや地下に降りる階段にかけられた数々のアーカイブはブランドの持つ歴史やその重みを感じさせられる。

おわりに

ファッションは最初に強い影響を受けたものがその人のベースになると言われている。今回の破綻のニュースが大きな話題となっているのはぼくや他の多くのアメトラの愛好者のみなさん、そして日本のメンズファッション自体にとってブルックスブラザーズがファッションの原点やきっかけとなっているからなのではないだろうか。

新たな経営陣の元で復活を願って止まない。






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