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「礼儀作法を科学する」気遣い・心遣いが大切な訳ーEmotional Intelligence Quotientから試論するー

先日、バスに乗車した際にとある出来事があり、コミュニケーションのあり方について考えを整理しました。
最近話題のEQの件も含め、なぜ今「気遣い」「心遣い」が必要であるのかをまとめましたのでご意見いただけますと幸いです。
こちらは古巣より再掲載いたしました

1,日常のコミュニケーションは全て人生の分岐点になる

少し混雑しているバスに乗車する機会があった。
空いている席があれば座りたいと奥へ進むと、2人席の手前側が空いていた。
窓際には年配のご婦人がいくつかの買い物袋を抱えて座り、
隣に座る方に迷惑にならないよう、しっかりと胸の前で荷物をまとめていた。

私はご婦人に「お隣よろしいでしょうか」と座る前提で伺った。

するとご婦人は、「どちらで降りられますか?」「私は〇〇で下車するので、それより先であれば奥をどうぞ」と仰る。
初めてこんなことを聞かれた。なるほど、下車順に座っていれば降りるときにスムーズである。

「ありがとうございます。」と言って、奥に座らせてもらった。

2,バスで隣同士になった二人

混雑したバスは発車し、しばらくするとご婦人が下車するという停留所が近づいてきた。
そろそろ下車ボタンを押すべきタイミングであるが、ご婦人の手は伸ばしたとしても届かないだろう。
目的地の停留案内が流れたら、「こちらで下車でしたよね」と言って窓際にある降車ボタンを押した。
奥の席を譲ってくれたお礼にもならない、互いのスムーズのための行為であった。

バスは停留所で止まり、ご婦人は立つ前に軽く「ありがとう」と言って下車していった。
私も「こちらこそありがとうございました。」と小さく返した。
小さなやり取りであったが、互いにほっこりしたよい気分だったことを感じた。
そして、この小さな出来事は、多く考えさせるものがあった。

3,隣の人とコミュニケーションを取った場合と取らなかった場合の比較

この小さな出来事で考えさせられたことの一つは、「お隣いいですか」を言ってよかったということである。
これは、空いている席があったら隣の人に必ず承諾をもらいましょう、という話ではない。
言わないで座るシーンも大いにあるだろう。
しかし、軽く声をかけたことをきっかけに、ご婦人の下車時にお互いにストレスを感じなかったのだ。これはシンプルによかったことだ。

次に、悪い事態を想定してみた。
・ご婦人の下車する停留所に到着したとして
短い停留時間に、荷物を多く持った奥の人が下りるとなったら、手前に座っている人も立たなければならず大変だろう。
・もし、ご婦人が抱える買い物袋から荷物がこぼれ落ちてしまったら、混んでいる車内で人々に迷惑をかけてしまうだろう。
・運転手さんや他の人からどう見られているかまで考えてしまったら、焦ったり慌てたりするだろう。

加えてこうも考えた。
・今回のシチュエーションのような、椅子の奥の人が出る際に、手前側の人が立たなければならない場合、何も言わず空いている席に無言で座ったらどうだっただろうか。
・奥に座ったご婦人の心情としては、「私が下りるときに一度立ってもらわなければならない。ご面倒をおかけしてしまう。」と、降車するまで心配をしなければならないだろう。

そして、今回の出来事を改めて振り返った。

4,コミュニケーションをとった者同士の達成感

ご婦人と私は、相手のスムーズさを優先させた結果、互いの目的を達成させたのだ。
・手の届かない降車ボタンを別の人が押してくれた
・隣の人を煩わせなかった
・慌てなかった、急がなかった
・荷物が落ちなかった
・誰にも迷惑をかけることなく、スムーズに降車できた。

短い時間(5分)の小さな関係(バスの二人席)ではあったが、私達二人にとって大成功の出来事だった。
ご婦人と会話が弾んだとか、楽しかったとか、言葉に感動した、という訳ではないが、私個人としてはとても幸せな気分になったのである。

さて、このようなことが自然にでき、幸せを感じる人達と、残念ながらまったく気が付いていない人がいる。
昨今、重要視されるEQ(Emotional Intelligence Quotient)値、心の知能指の高低の問題である。

5,Emotional Intelligence Quotient

IQが「知能」の発達を表すことは皆さんご存じだろう。
今回のEQは、人間関係への関心の度合いや仕事への取り組み姿勢などを「感情」という視点から評価する指数である。
つまり、学習能力の高さだけでは世の中を渡っていけず、心の知能指数こそ生きる上では重要であるという考え方である。

例えば、判断指数として
・自分の感情を認識できるか
・意欲があるか
・感情のコントロールができるか
・人間関係への関心があるか、その度合いはどれほどか
・他者の感情に共感できるか、協調性はあるか
等で、自分の感情への客観視や他者とのコミュニケーションが適切に対処できる能力の指数となる。

近年では、「感情をうまく管理し、利用できることは、ひとつの能力」
「ビジネスで成功した人は、対人関係能力に優れている」という結論から、
環境に適応する能力や、仕事に対するモチベーションをコントロールする力などを判断できる基準として、企業の採用や人材育成などの判断材料になっている。

6,EQの重要性と頻発するシチュエーション例

私は既述のバスの出来事から、EQの重要性を改めて気づき、
加えて大切なことは、「TPOに応じて他者へ心を配り、最小単位の運命共同体になれるか」だと感じたのである。

■最小単位の運命共同体とは
「最小単位の運命共同体」とは、私の言い回しなので少し説明を加えようと思う。
これは、人間関係の最小単位、夫婦・家庭・友人・会社のチームでも何でもいい。小さいながら人間の営みがある社会である。
これらの社会において、互いに目的や目標を共有しその為に行動する、これが運命共同体である。
夫婦のような小さな単位の運命共同体でも、互いのやり方に納得し、結果を出し、達成感を得る為の努力が重要なのである。
運命共同体によって目的・行動・結果・達成感は様々であるが、メンバー全員が働いていないと不安や不満のきっかけとなってしまうのである。事例をいくつか挙げてみよう。

①(夫婦関係)例:新生児を世話する運命共同体

【状況】新米ママは、死んでしまうような苦しみの中、赤ちゃんを産む。
同時に、交通事故で全治三か月のケガを負ったも同然というくらいまで体力レベルが落ち込む。
そしてその数日後、育児情報をインストールしていない新米パパと運命共同体を結成する。

【目的】まず、この運命共同体の目的を確認しよう。
代表的なところでは、赤ちゃんの生存・赤ちゃんの居心地のよい環境、母体の回復が挙げられるだろう。
これらの目的に向かって、運命共同体の二人は行動しなければならない。

【問題】しかし、パパがソファでゴロゴロし育児参加しない場合がある。
その理由を問いただすと、「男の仕事ではない」「俺は会社で稼いできているから」などと言う。

赤ちゃんの生存のために今何ができるか、に「俺は稼いできている」というのは目的に反している。
母体の回復のために今何ができるか、に「男の仕事ではない」というのも目的に反している。
これらは別の話の言い訳を持ってきているだけで運命共同体としてなんら解決しない言いぐさである。
とりあえず、パパは運命共同体の一員として、赤ちゃんの生存に関わる仕事と母体回復につながる仕事を家庭内で見つけ、早急に手を付けなけなければならない。

前述したEQ値の高いパパであれば、新米ママの表情を読み取り、母子の1日のタイムスケジュールを把握し、家庭内で自分ができる作業を見つけ、自然に行動できるのだろう。
さて、皆さんのパートナーはどうだろうか。

②(友人関係)修学旅行のグループ行動で付いてくるだけの子

【状況】多くの学校では中学3年生の春に修学旅行を実施するだろう。
旅行中、グループ行動として自分たちが決めた行動計画に沿って散策する楽しいイベントである。この修学旅行のグループ行動を例に挙げよう。

【目的】この場合の運命共同体は言わずもがなこの5・6人のグループである。
目的は自分達が計画した目的地への巡回と、決められたタイムスケジュール通りに戻ってくること。
しかし、全員がその目的に向かって行動できるかといえば、苦い気持ちを思い出す人も少なくないだろう。

【問題】グループ行動の班長は、行動計画表と時計を見ながらバスの時刻を気している、そんな班長を横目に何もせずただ付いてくる友人。
「暑いね」「疲れた」「あれ食べたい」と言っているだけで、行動計画の進捗や時間の概念はどこかに置いてきてしまったようだ。
運命共同体の中にこういった人がいた場合、それを束ねなければならない班長は気疲れてしまう。
計画通りに動かなければならない責任感があるのでなおさら。班長だってこんな感情がわいてくる。「一緒に調べてほしい」「私だって迷っているし、分からないのに」「私ばっかり考えている」

しかし、「なんで私ばっかり」という班長の不満な態度に対して、気が付かない「ただ付いてくる人」。
ただ付いてくる人は「なんか班長不機嫌だよね。感じ悪ーい」という始末。あるある~。
こういう場合、EQが高いグループはどうするだろうか。「ただ付いてくる人」はどうすればよかったのだろうか。
修学旅行前に学校でEQに関して話題に挙げるべきだと思う。

7,最小単位の運命共同体でEQを発揮する

バスの話を復習する。
ご婦人と私は、バスの中の小さな二人掛けの席に並んで座ろうとしている小さな運命共同体であった。
二人の目的は、互いの降車時に周囲に迷惑をかけることなくスムーズに降車する、ということ。
これは示し合わせた訳ではなく、他者と関わりを持とうとした積極的な態度と共感力から感じ取ったものである。
ご婦人と私はほんの少しのEQを発揮させ、互いの目的のために行動し、達成度を感じたのである。

では、この二人が互いにEQが無かったら?
傲慢で自分のことしか考えられない人間同士だったら?
そうなると物語が全く変わってしまう。きっかけは些細なことながら、バス内で罵詈雑言が響き渡る可能性があるかもしれない。

7,まとめ EQ値を高めることは自分の社会を幸福にする

つまり、運命共同体の大小は関係なく、
組織にEQ値の高い人を配置すると、コミュニケーションを密にとり、互いに助け合うことで目的達成度が高く
組織にEQ値の無い人がいると、相手の為に働こうという意識が薄く、組織内の不満・不安度、モチベーションの低下が増し、目的達成が困難となる、という論理になるのである。

これから、知識はAIに取って代わられる。

教養=IQの時代から
教養=EQの時代へ変化することは、様々な問題を抱える現在社会において自然なことである。
自分の共同体の問題解決に、速やかに応じることのできるモチベーションの高い者こそ、必要とされる時代へと変遷していくだろう。
多くの運命共同体に属し、様々な方と目的達成する経験こそ、個人の幸せにつながることは間違いない。




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