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鈴と恵ってどうなるの?:竜とそばかすの姫のアフターケアと母性

「歌よ」の歌詞って竜そばの展開を示唆してるって最近気づいた

どうも、輿水畏子(こしみず かしこ)です。

今回は一つ前の記事に引き続き、話題の映画『竜とそばかすの姫』の気になった部分についてお話ししたいと思います。前記事でも述べた通り、所々記憶が薄れているので勘違いがあったら指摘してください。

今回の記事の題材はタイトルの通り、竜とそばかすの姫の「アフターケア」についてのお話です。本当なら一つ前の記事でまとめて書くつもりでしたが、長くなりそうだったので分割しました。結果5000文字いかないくらいの記事になりました。

この記事の趣旨は、私が竜そばのアフターケアの足りなさを恐れいる、ということです。本作はクライマックスシーンを超えてから、エンディングが始まるまで、あまり多くのことが語られません。特に、問題の渦中にいた恵と知がどうなったのかは全く出てこなかったはずです。それ故、お話が終わった後のことについては、各々の想像に委ねられています。
扱っている問題の大きさに対し、その様にケアが欠けていること自体恐ろしいのですが、エンディング前、そしてそれ以降の流れが自分の解釈通りだとすれば、さらにケアが欠けた作品になってしまう可能性があるのではないかと感じています。
また、この作品の中では「歪な母性のバトンタッチ」が起きているのではないか、とすら考えています。
その恐れを明確にするために今回の感想記事ができました。
誰か、「優しい竜そば未来予想図」を私に諭して安心させてください。では本文に入ります。

恵と知ってあの後どうなったん?

前述の通り、この作品、恵と知に対するアフターケアが全くないんですよね。
一つ前の記事でも述べましたが、竜そばという作品の中で恵を取り巻く環境が、なんらかの劇的解決を起こすとかそういった表現は存在しません。
あくまでも恵が鈴のおかげで心の持ちよう、精神性をかえることができたというのみです。

つまり、恵と知は、竜そばという作品の幕が閉じた後も、自分たちを虐待している父親に対し、立ち向かっていかねばなりません。もちろん、鈴が恵を助けに一人で旅立つ際、合唱団のメンバーがで公的機関に連絡をとっている様子は確認できているため、公的機関の保護を受けられる可能性は十分にあります。
しかし一方で、竜そばという作品は公的機関の保護を作中で徹底的に否定してしまっています。あれだけ「自分たちは助けられなかった」と怨嗟を吐かせているのですし、その問題が本編後はさっくり解決し、全部公的機関のおせわになりました!で終わるとはなかなかいきづらいらいのではないでしょうか。

そうなると、恵と知は今後もあの父親に対して立ち向かいつつ暮らしていく必要がある可能性が出てきます。なんかあらすじとか見ても「恵は鈴の姿を見て、自分も立ち向かう決心をつけた」みたいに書いてあったりしたんですよね(どこで見たあらすじかは忘れました)。

果たして、そんな恵と知に対し、鈴はどんなふうに関わっていくのでしょうか。

鈴と恵の関係性って?

本作の中で、鈴と恵の関係性にわかりやすい名前はつきません。
 <U>のなかで竜を気にかけたBelleから始まり、二人の距離は急接近していくわけですが、この距離感はどこに落ち着くことになるのでしょうか。

鈴は恵を助けるために身を挺して遠くまで一人で走り、そんな自分を守ってくれた鈴に対し恵は愛情表現で返しました。
ここまでいくとこの二人は愛で結ばれてるんだ!と考える方もいるかと思います。また一方、わざわざそういう関係にせずとも、家族のように互い助け合っていく親愛の情を持ってるんだ!という希望を持つかもしれません。どちらにしろある程度以上の親密さを持っていて、それが続くんじゃないかと期待はできると思います。好きだって言ってるし……

ところが一方、この二人の関係の別のあり方を暗示する様な話が途中で出てくるんですよね。それが作品中盤、合唱隊のメンバーが海外での思い出を語るシーンです。
その思い出の内容はざっくりいえば「高校生の頃、海外で出会った中学生の男の子に歌で心を開いてもらい、帰国するまでの間だけの短くも心温まる交流をした」という内容です。
話の骨子や登場人物の歳の頃が、完全に鈴と恵の話と重なる様に作られています。そんな中で「相手の男の子が中学生だったから付き合うとかはなかった」みたいなことも言ってるんですよね。結果、その思い出話の後では相手の男の子との交流はなかったと。

これがもし、そのまま恵と鈴の行く末を暗示した、お話の布石となっていたとしたら。それは「竜とそばかすの姫という作品が終わった後、鈴と恵という二人が交わることはない」という意味にもとれてしまいます。
いくらなんでもそれは穿ち過ぎでは?とも思いますが、一方で二人には割と障害も多いんですよね。
まず第一に物理的な距離の問題。先程の海外の少年の話ほどではないですが、それにしたって鈴と恵の間には気軽に会うことのできない物理的な距離感の問題が聳えています。
そして第二に、あの世界で物理的な距離感の問題を解決してくれそうな<U>の世界についても、あの二人だけはうまくいかない様に思えます。二人ともいい意味・悪い意味それぞれで有名人なので、そう簡単に二人の逢瀬ができたりはしないでしょう。何となく流されてましたけど竜って別にあの世界から認められたりしてないですよね。二人の秘密の城は燃えちゃって使えないし。

これまで挙げた要素を総合すると、私のイメージする竜そば本編後の鈴と恵の関係って「お互い元気付けられて、問題に立ち向かえる様になったね!これからお互いそれぞれの方向に進んでいくけど、歌を思い出して力にしていこうね!」くらいの距離感に見えるんですよね。

果たして本当にこれでいいんでしょうか。家族間の虐待という大きな問題を扱い、その中に果敢に踏み込んだ鈴の立場がどうなるのか、それが明確に描かれていません。それどころか要素を拾っていくと「もう立ち入らない」ように見えてしまう。エンディング直前のシーンだと鈴はまだ忍くんに気がある様にすら見えるし、鈴にとって恵ってどんな存在だったのか全然伝わってきません。ただ気になる?ただ放って置けない?じゃあ一度口を出すならどこまで付き合うのでしょうか。それがあやふやなままなのは、問題に対するアフターケアとして本当に正しいんでしょうか?
虐待という問題については継続的な取り組み、ケアが必要なはずです。そういったケアが欠けている様に見え、それどころかその後のケアはないと言い切られている様に見えるのが、私がこの作品に抱いている恐怖です。

恵の暴力性

もう一点、触れておくべき、竜そばのアフターケアの欠如は、恵の暴力性についてです。

散々世界観として説明されていた様に、<U>という世界は、そこに入り込む人たちの内面の力を引き出す側面がありました。そのおかげで現実ではうまく歌えなかった鈴が、Belleとしては自由に、強く歌えたのです。

では恵と竜の関係性は?
竜について、作中の人物たちは皆口々に最悪な評価を下します。粗暴、残酷、執拗なまでに相手を痛めつける、そして腕っ節が強い。これらは全て、竜=恵の内面の現れということになります。

つまり、恵は非常に危険な暴力性を抱えているはずなのです。それが虐待による精神的抑圧への反発であったとしても、彼の中に非常に残酷な負の側面があることは確かです。それは果たして虐待が消えればなくなるものでしょうか。むしろ、虐待に立ち向かうと決めた彼にとって、その牙は過剰な武器となりうるように思えます。

しかし作中ではこの点についても一切触れられません。竜は実は虐げられている優しい人なんだ、の一点のみです。この要素は、作品がおわった後でこそ響く部分だと思ったので、きちんと触れて欲しいお話でした。

鈴の母性

ここからは、恵と鈴の関係性を補完するかもしれない「母性のバトンタッチ」についてのお話です。これについては根拠は薄く、もしそうだったら嫌だな、くらいの気持ちで書いてます。

竜とそばかすの姫という作品の中で、母性や母親性といったものはかなり特殊な描かれ方をします。幼い頃に母親を失った主人公の鈴にとって、母親という人間は理解できない対象でした。

そんな鈴に対して「母親役」の立ち回りをする人間がいます。それが鈴の幼馴染の忍くんです。正直私にとって忍くんの言動はもう徹頭徹尾よくわからないのですが、作中人物も忍くんを母親っぽいって言ってるので、忍くんは多分母親の役目を負ってます。

そんな忍くんですが、作品の最後に鈴が自分の母親の想いを理解し、自立したことによって、「母親役」の立場を解放されたと自認します。これ、単に忍くんが役を降りたとも言えますが、作品の構成として「役割がバトンタッチされた」ようにも見えるんですよね。

忍くんが母親役でなくなるまえに何が起きたか。それは鈴が自分の母親の気持ちを理解し、自立し、そして「父子家庭である恵と知を抱きしめて庇護する」という出来事です。これらの役割を総合すると、「恵が母親の役割を担った」という風にも読めてきませんか。そう考えると最後のシーン、鈴が大人を伴わずに一人で恵の元へ向かったことにも説明がつけやすいんですよね。(鈴はこの時点で大人になった、と考えられるから)

さらには、竜の城にあった「割れた恵の母親の写真」。あの描写も恵の中で母親、母性が「重大な欠如」として扱われていると解釈できます。そう捉えると、鈴が恵と知に「母性」を埋める存在になる、というのも無理な展開ではない様に思えます。

しかし、もし鈴が「母性」でもって恵と知を守ったのだとしたら、そこから先に待ち受けるのは前述の比ではないくらいの困難な関係性です。忍の様に「対等になれたから母親代わりは終わります!」と勝手な区切りをつけてしまえるほどに、甘い立ち位置ではないでしょうから。より一層、作品の今後を思ってどうするつもりだろう……と困惑してしまいます。

忍が鈴に演じて見せ、最後に降りたのと前後して鈴が担う「母親性」の移り変わり。直接受け継いだわけではありませんが、なんだかバトンの受け渡しの様にも見えてきます。この読み方は本当に穿った見方だと思いますが、ゾッとする考え方です。そもそも私には忍の振る舞いが全然理解できないのですが、それにしたって母親性なんてものがそう簡単に誰かに担われたり、受け継がれたりするべきではないですよね。なのでこの読み方は私の勘違いであって欲しいです。私はサマーウォーズの頃から細田監督の家族観に同意できないと思っていますが、その断絶が今作で一層強まりました。

最後に

以上、私が竜とそばかすの姫という映画について、扱っている問題の大きさに対し、問題に晒されている子達へのアフターケアが足りていないこと、作中の描写に乗っ取って考えると、むしろアフターケア自体されないのでは?とすら思えることについて、恐ろしいと感じていることを書き連ねていきました。
私としては恵と知が自分たちも立ち向かう!などというあやふやな解決策でなく、適切な救助と支援を受けられること、そして現実でも同様に問題が適切に対処されゆくことを祈っています。

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