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家出計画 その5

そう。我が家は一見貧乏ではないが正直貧乏である。
15年前に「外壁が汚い!外壁の工事会社を見つけてきた!」と
突然言われ、見つけてきてもお金はださない母。
話は工事日まできまっている状態。
仕方ない。ローンだ・・・。
そうこうしているうちに
7年前に母が脳梗塞で倒れた。
幸いにも軽度だったのだが、当時居酒屋を経営していた母は
なんとか復帰してまたお店を続けたいと懇願した。
だから、リハビリ期間の店舗維持費というものがのしかかってきた。
そして、蓋をあければ母には預金がない。保険も1日1000円しかおりてこないという昔々の保険を見直しもせず放置していたがために
脳梗塞であっても保険金はゼロ。入院保障の1000円が入院日数分入ってくるという保険だった。
緊急入院からリハビリ完了して退院まで半年かかった。
入院中、することがないからテレビばかりみていて
テレビのカードがすごい勢いでなくなっていく。
もちろん有料。
あれが欲しい、これが欲しい、催促ばかり。
娘なのだから毎日見舞いに来るのが当たり前だと言われ
仕事を定時で切り上げ、収入は減る。出費はかさむ。
維持できるわけがない。
・・・借金だ。
お店の維持費、入院費、私の収入減の補填。
退院後のお風呂場の全面リフォーム。
随所に手すりを取り付け。
要介護などになると補助がでるが、要支援になった母には
少しの補助がでただけだ。
結局、300万でたりたのだろうか・・・・。
母は当たり前のように一銭も返してくれない。
微々たる保険金も、補助金も私に渡してくれることは
なかった。

家計は火の車状態だったにも関わらず、母はおかまいなしに
自由にお店を再開させた。
そして1年で「やっぱり無理だわ」とあっさり閉店した。

その時に、無職になる母と息子と家族会議を行った。
私は仕事を増やして頑張るから、おうちのことを母にお願いすることになり
息子もできる限り母をサポートすると言ってくれた。
みんなで納得して役割分担を決めた。
家族3人で力を合わせて、ほそぼそとでも暮らしていけたら・・・と
そう本当に、そう思っていた。



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