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評価という思考の罠

おすすめにでてきた、こちらの記事。

なにも女子サッカーに限った話ではないのだなという雑感と、ぼくも似たような経験があるので、ぼく視点でも書いてみる。

一番に心に浮かんだのは、中学生の頃に経験したナショトレ選考でのこと。

ぼくは世代別代表や、ブンデスリーグでの契約など、履歴書だけをみると煌びやかなものを歩んではいるが、中学までは本当に無名な選手だった。

中学一年生のとき。

最後のチャンスとなる三年生に譲ってあげてほしいと言われ、ナショトレには行けなかった。

次こそはと意気込んで臨んだ翌年、ラダーステップの足捌きが悪いからという理由で落とされた。

この頃から母がよく言ってた言葉がある。

「陸上は数字がそのまま実力として表れるけど、サッカーは選ぶ側の好き嫌いも関わってくるから難しい」

母にもLINEを送ったのだけど、ぼくがこの言葉の意味を本当に理解し始めたのはつい最近のこと。

好き嫌いという解像度で終わらせてしまうと、いかにして理不尽に耐えるマインドセットをつくるかのような話になってしまうが、実際はもっと深いところまで掘り下げていく必要がある。

リンクで貼った記事を例に挙げると、筆者は前線でのボールキープが特徴であることを自負しつつ、監督もチームにそれを求めていながらメンバー選考にすら関われない。

読み進めていくと様々な角度で分析できるなと思うけど、とりあえず今回注目したいのは、言葉に惑わされることなく、相手の頭の中を想像する大切さについて。

ここ数年間は渦の中をぐるぐるしながらもひたすらに観察は続けていたので、その中ではっきりしたこと、そこからの仮説があった。

まずはっきりしたことについて、ここでも母の言葉を引用したい。

「AとBと同じような能力の選手がいたとして、そりゃ監督は好きな方を使うに決まっとる」

なにを分かりきったことを言っているのかと当時は思ったが、渦の中での観察を経て、いまではまったく異なる解釈を得ている。

例えば、サッカーゲームのように選手の能力をフラットな視点で評価されての上で、監督の価値観が加味されるというよりは、それらを含めてが選手の実力そのものとして映っている可能性がある。

つまり、選手全員に対して同じ評価システムを使うというよりは、選手との関わりや監督の価値観など、様々な要素が組み合わさった評価システムが、それぞれで独立して監督の頭の中に存在するのだと思う。(興味関心によっては評価システムが機能していなかったり、そもそも存在しないということもありそう)

そうなってくると、監督の言葉を単純に受け入れるだけでは一生渦の中でぐるぐると踊らされ続けることになるだろう。

大切なのは、言葉の裏側に存在する、なぜそのような言葉が紡がれるのかという思考までを探ること。

そしてそれを行う大前提として、とことん本人から言葉を、それも様々な角度から引き出し、それらが重なり合う一つの真実を見つけ出すことだ。

ぼくがやってしまっていた最大のエラーは、言葉を発した本人ではなく、より心を許す他者への相談で言葉の真意を探ろうとしていたことだ。

その人の思考を信用しているとあれば、尚更正統性を感じられることができ、ある種の納得を得ることでその場を乗り越えることはできるかもしれない。

しかし、あくまでそれは他者の推測によって導き出されたものでしかなく、言葉の真意を知るには本人と直接コミュニケーションを取ること以外に方法はない。

だから、プレシーズンで試合に絡んでいた時期は失敗を前提としたトライをしまくったし、その都度コミュニケーションを取ることで、監督の頭の中、また監督とコーチの評価システムの違いを確認した。

このあたりは長くなってくるし、どこかの記事でも書いた気がするので割愛するが、サッカーの評価ってとても複雑なので、表層だけで一喜一憂してたらキャリアは詰むよねっていう話。

だから、ぼくは言いたい。

フットボーラーなら思考せよ。

ぼくが文武両道を勧める理由の一つ。

いただいたサポートは日々の研究実験のために使わせていただきます。 一見するとサッカーやスポーツと交わらなさそうなことから、パフォーマンスに結びつけて思考することが好きです。 記事更新の励みとなるので、ぜひサポートのほどよろしくお願いします🐶