みたらし団子の歴史
みたらし団子!
嫌いな人に会った事がありません。
日本人が好む食感であり、味ですよね。
もちもち+醤油や出汁の風味
最高です!
今回はみたらし団子の歴史について。
もっと知ってもらい、もっと好きになってあげて下さい。
時は鎌倉時代!
場所は京都の下鴨神社。
その境内にある『御手洗社』(みたらしのやしろ)は
わき水がたまった『御手洗池』(みたらしいけ)の上にあります。
後醍醐天皇が清めの為に手で水をすくったところ、泡が5つ浮かび上がったそうです。
大きな泡が1つ、少し時間差があり4つの泡が浮かび上がりました。
そこで思い付いたのがみたらし団子でした。
当時は串に5個刺さっていたんです。
絵が下手ですねー。
実はこれは人の体を表しています。
一番上が頭、下の4つが体をなんですね。
さらに厄除けの人形として神前に供え、ご祈祷を受けた神聖な団子を持ち帰って食べていたそうです。
こうして5つ刺しの団子で始まったみたらし団子はだんだん庶民の食べ物として広がっていく事となりました。
5個から4個へ そこには当時のお金の話が
江戸時代になるとみたらし団子は1本5文で売られるようになります。
単純に1個=1文計算ですね。
しかし1768年に新たな貨幣の4文銭が登場しました!
だったらワンコインにしようじゃない!という事で4つ刺しに変わって行った訳ですね。
こうしてお金の流れと共に4本刺しが主流になり、今も4個刺しを多く見かけます。
いつだっか団子三兄弟が流行った時は3個刺しが流行りましたね。
歴史を知り、みたらし団子をもっと好きになって頂けましたでしょうか?(ついでに僕の事も少しだけ好きになってください)
次の機会にみたらし団子を食べる時に
後醍醐天皇が~(全然顔も浮かんで出来ませんが)とか、昔はけっこう神聖な食べ物だったんだよ~とか会話の種になれば嬉しいです。
ではまた!