はじめに公開

『#まいボコ』<はじめに>公開|日本推理作家協会賞ノミネート記念①|山下泰平

 第73回日本推理作家協会賞【評論・研究部門】の候補になった『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』(山下泰平)の<はじめに>を公開致します。

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はじめに
 書くはずのなかった人間が書く混沌とした本


 部活を辞めた怖い先輩が、西田哲学の研究に没頭することはない。家に帰らない不良が、口語体の確立に文庫派作家がいかなる貢献をしたのか調査することもないし、密漁をシノギにする田舎ヤクザが大空詩人・永井叔(ながいよし)の足跡をたどることもない。

 もしも20年前に生まれていたとしたら、私もこんな文章など書いていなかった。コレクション気質は皆無、飛ばし読みを好むため読解の精度はきわめて低い。どちらかといえば学問的な正確さよりも、単純な面白さを重視している。面倒くさい手続きを踏むくらいなら、手近にあるチラシでも読んでいたほうがマシといった人間である。

 こんな性質の持ち主が、明治や大正のマイナーな書物を大量に読むというのは、ありえないことだった。しかし過去とは比較にならないくらいに、今はデジタルアーカイブが充実しているため、それができてしまう。

 私は面倒くさいことを考えるのは好きだが、記憶することにほぼ興味がない。しかし記憶装置と全文検索用プログラムの性能が向上したため、ある程度まで精度の高い記述が可能になった。ソフトウエアの環境を整えてしまえば、読む、書く、調べるを同時にこなせる。感覚的な話であるが、十数年前までと比べるとトータルで百倍は省力化できている。

 労力が減少すると、参加する人間の数が増えていく。自然に性質の種類も増える。あくまで私の希望を含んだ予測に過ぎないが、分野を問わず従来書くはずではなかった人間による記述が、今後増えていくはずだ。私もこれまで書かなかったはずの人間で、本書はこれまでとは違う人間による記述のサンプルでもある。

 本書『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』が対象とするのは、明治の娯楽物語だ。
明治の娯楽物語は今ではすっかり忘れ去られた存在だ。だが、当時、夏目漱石や森鴎外といった近代文学作品よりも、はるかに読まれた人気ジャンルだった。旭堂小南陵『明治期大阪の演芸速記本基礎研究』(たる出版、1994年)によると、明治の娯楽物語の主要ジャンルである〈講談速記本(こうだんそっきぼん)〉に限っても、明治30年代において貸本屋でのシェアは七割を超えていたらしい。本書は、この大衆から愛されていたにもかかわらず現代ではほとんどないことになっている〈明治娯楽物語(めいじごらくものがたり)〉の全容をひもときながら、現代の創作物に与えた影響、そして明治人が一度は捨てた虚構(フィクション)を楽しむ技術を取り戻すまでの流れを知ることを目的に書かれている。

 ただしその手法は、定石から少々外れている。誠実な研究者であれば、あくまで仮定だからという理由で書かないことが本書には書かれている。言いにくいこと、書くほどではないような事実、今さらほじくりかえさなくてもいいようなことにも言及している。年代を追っていくわけでもなく、重要な役割を果たした作品を押さえてもいない。複数の作品を使い、同じようなことを幾度も語っている。秩序に乏しい書き方ではあるが、私たちや明治人がエンタメ作品を楽しむ際にも、やはり秩序だって読んだりしない。好みのものを好みのように楽しむだけだ。

 つまり本書は娯楽物語を解説するため、普段エンタメを楽しむように書かれた書籍だといえる。なんだかよく分からないかもしれないが、読了する頃には、明治・大正の庶民や子供がくぐり抜けてきた読書体験の、ほんの一部を追体験することができるかもしれない。そして奇妙で荒っぽく馬鹿みたいに面白い明治娯楽物語のつらなりの果てに、現代のエンタメは存在しているのだと感じていただければ幸いである。


二〇一九年四月 山下泰平

序章「小説未満の世界ーー明治の弥次喜多は宇宙を旅する」へ

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日本推理作家協会賞【評論・研究部門】候補
『舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』
山下泰平

序章「小説未満の世界ーー明治の弥次喜多は宇宙を旅する」へ

内容紹介 
文学史&エンタメ史の未確認混沌時代(ミッシング・ピース)!
『東海道中膝栗毛』の弥次喜多が宇宙を旅行する、『舞姫』の主人公がボコボコにされる、身長・肩幅・奥行きが同じ「豆腐豪傑」が秀吉を怒らせる――明治・大正時代、夏目漱石や森鷗外を人気で圧倒し、大衆に熱烈に支持された小説世界が存在した。
本書では、現代では忘れられた〈明治娯楽物語〉の規格外の魅力と、現代エンタメに与えた影響、そして、ウソを嫌いリアルを愛する明治人が、一度は捨てたフィクションをフィクションとして楽しむ術(すべ)をどのようにして取り戻したのか、その一部始終を明らかにする。
※長いタイトルの通称は「#まいボコ」です!
※本書に登場する作品のほとんどが国立国会図書館デジタルライブラリーで全編無料でお読みいただけます。
著者について
山下泰平(やました・たいへい)
 1977年生まれ、宮崎県出身。明治の娯楽物語や文化を調べて遊んでいる。大学時代に京都で古本屋をめぐうち、馬鹿みたいな顔で手近にあるどうでもいい書籍を読み続ける技術を身に付ける。 明治大正の娯楽物語から健康法まで何でも読み続け、講談速記本をテキスト化したものをインターネットで公開するうち、2011~13年にスタジオジブリの月刊誌「熱風」に「忘れられた物語―講談速記本の発見」を連載。2015年12月に「朝日新聞デジタル」に「物語の中の真田一族」(上中下)を寄稿。2019年に本書を刊行。2020年に『簡易生活のすすめ 明治にストレスフリーな最高の生き方があった!』(朝日新聞出版社)
インターネットでは〈kotoriko名義〉でも活動。「 ブログ 「山下泰平の趣味の方法」 http://cocolog-nifty.hatenablog.com/ Twitter @kotoriko

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