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『#まいボコ』<序章 小説未満の世界>公開|日本推理作家協会賞ノミネート記念②|山下泰平

 第73回日本推理作家協会賞【評論・研究部門】の候補になった『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』(山下泰平)の<序章 小説未満の世界>を公開致します。

序章
 小説未満の世界 明治の弥次喜多は宇宙を旅する

国立国会図書館デジタルコレクション、または青空文庫で閲覧可能な作品にはリンクを張っています。

かつて〈明治娯楽物語〉があったッ!

文化なんてものは、それほど強いものではない。面白さや価値とは関係なしに、時流に逆らえず消滅してしまうことが時にある。しかしである。大きな流れの中で特定の文化が否定されたとしても、個々人の胸の内にその文化が生んだコンテンツ――例えば物語は生きている。
明治の創作者たちは、江戸の物語を斬り刻み、新しい形式の中に嵌(は)めこんでいく。読者は知らないままに、昔の物語を楽しみ続ける。問題なんてないようにも思えるが、ふと我々が楽しんでいる物語の源泉を思う時、困ったことになってしまう。
現代のエンターテインメント(小説や漫画などの読み物コンテンツに限らず、映像や演劇も含む)の源流を、江戸とする言説がままある。しかし江戸から現在に至るまで、ずいぶん長い時間が存在している。明治の人々が、のんべんだらりと江戸の娯楽を消費し続けていたなんてことがあるはずがない。私たちは忘れてしまっているが、明治という時代には、小説未満の娯楽物語が花開いていた。

明治20年代後半から40年代にかけて、日本文学の世界で最も高い水準に達していたのは〈明治娯楽物語〉というジャンルである。なぜそんなことを言い切れるのか、理由は実に単純で、読み比べてみると他ジャンルの作品群よりも明らかに面白く、現在の文化にも影響を与え続けているからだ。ただし残念ながら、このジャンルの作品が教科書に出てくることは、ほぼない。研究対象とされることも、稀(まれ)である。そもそも明治娯楽物語なんてジャンル自体が、存在していない。明治娯楽物語と表現するよりほかない、ある種の作品群を私が勝手にそう呼んでいるだけの話だ。(紙版の8~9頁にこのジャンルを概観できる図と年表を掲載している。)
明治娯楽物語とは、その名の通り明治時代に娯楽のために書かれた物語である。「小説」ではなく明治娯楽「物語」としているのは、現代の基準からすると小説の体裁をなしていない作品が圧倒的多数だからだ。小説をひとことで表現すると、「簡単な文章で書かれており、理詰めで考えられる構造とまとまりを持っていて、現実にいそうな人間と起きそうな事件が描かれる」ようなものとすることができるだろう。今では当たり前の小説も、日本では明治も中頃を越えるまで存在しなかった。
娯楽のために書かれた物語と聞いて「大衆文学」を想起する人もいるだろう。狭義の大衆文学が成立したのは大正の末★1だが、大量生産され、多くの人に伝達し消費される点は、〈明治娯楽物語〉によく似ている。文学史の流れの中におけば、明治娯楽物語を大衆文学の前身とすることもできる。ただややこしいことに、昭和に入り大衆文学が全盛期を迎えても、明治時代の技法で書かれた荒っぽく雑な物語が生き残っている。それゆえ、本書では明治の技法で書かれた大正・昭和時代の娯楽物語も〈明治娯楽物語〉と呼ぶことにする。
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★1 中里介山『大菩薩峠』の連載が始まった大正2年(1913)を大衆文学誕生の年とすることもある。いずれにしろ大正時代に大衆文学は発生した。
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もっとも明治以前にも、日本独自の娯楽物語は存在した。江戸の戯作(げさく)をアレンジした作品も、明治のある時期までそれなりに人気があった。芝居や落語、講談などの芸能もある。ただし江戸丸出しの創作物は、文明開化を経た人間を満足させられない代物になりつつあった。もちろんなんの準備もなしに、小説なんてものを書くことはできない。だから明治人は、すでに存在している物語を、近代人になっていくお客さんたちが受け入れてくれるよう、改良せざるを得なかった。同時に西洋から流れ込んでくる小説、意味もワケも分からないものを、なんとか解釈し受容しなくてはならない。
これらの仕事は一朝一夕になるものではない。新しい物語を完全に理解することもできず、書くこともままならない、そんな消化不良の時代が長く続く。いわば黄金時代の前夜である。

そんな時期に、『東海道中膝栗毛』の弥次喜多(やじきた)が宇宙旅行をしている。
いわばパロディー作品なのだが、今となっては元ネタの『東海道中膝栗毛』の内容をよく知らないという人もいるだろう。それも当然で、この古典は現代人が読んでもあまり面白くない。
『膝栗毛』の設定として、弥次郎兵衛(やじろべえ)と喜多八(きたはち)が元恋人というのは有名な話であるが、二人が旅行に出るきっかけひとつとってもかなりひどい。まず喜多八が奉公先で女を妊娠させてしまう。続いて変装して元女房を騙し、なんだかんだで喜多八と女は結婚、同居することになるものの、いきなり女が産気づく。いろいろあって弥次喜多が妊婦の周囲で大喧嘩、そのショックで女は死んでしまう。女の葬式をしていると、喜多八の奉公先の旦那が病死、喜多八は不品行極まりないからとクビになる。二人はすべてが面倒くさくなり、江戸から逃亡するため旅に出る、といったものである。その後も愚にもつかない駄洒落が延々と続き、弥次喜多によるクズエピソードと狂歌の連続、たまに弥次が教養を見せ付けてマウントをとるといった物語だ。
江戸時代であれば、人気を得そうな要因は多い。方言や地方の風俗が紹介されており、ガイドブック的にも使える上に、当時としては笑える場面が数多く並んでいる。しかし現代人が、純粋に娯楽として楽しむのはかなり厳しい。
明治もやはり同じである。膝栗毛のなにが面白いんだ。そんなことより政治や科学だッ!といった人々が、当時はたくさん生きていた。それでも娯楽物語には需要があり、創作者たちは近代人に歓迎される面白い物語を作ろうと奮戦する。海外からやってきた翻訳小説を強引に換骨奪胎する作家も現れ、とうとう弥次喜多が宇宙旅行をしてしまう。


弥次喜多とヴェルヌの悪魔合体

明治17年(1884)に兎屋大阪支店から刊行された英立雪(えいりっせつ)『宗教世界膝栗毛(しゅうきょうせかいひざくりげ)』は、SFの生みの親として知られるジュール・ヴェルヌの作品の設定を借用し、さらに戯作のテクニックで物語に仕上げられた、明治の混沌っぷりを味わえる逸品である。
日本全国を踏破して西洋諸国をも道中しつくした弥次喜多だったが、最近は書生や商人まで世界を旅するようになってきた。これではホラも吹けないと悩んでいると、米国で月へと飛べる機械が発明されたと知る。二人が早速米国に乗り込むと、すでに機械は完成していた。ところが危険を感じ、誰も月へ行きたがらない。渡りに舟と二人はモルモットとして立候補し、大砲のようなもので月へと向かう。

大砲の弾丸にヘバりつき、月に行く弥次喜多(『宗教世界膝栗毛』挿絵、明治17年)


アメリカで大砲に似た乗り物で月に行くという展開は、ヴェルヌの『月世界旅行』(原著刊行は1865年)と同じだ。『月世界旅行』は、『宗教世界膝栗毛』が書かれる少し前、明治13〜14年(1880-81)に『[九十七時二十分間 ]月世界旅行』として日本で出版されている。英立雪はこの翻訳書から設定を借用している可能性が高い。
オリジナルの『月世界旅行』は、当時としてはかなり綿密に科学考証がなされており、酸素や空気抵抗などといった科学知識が登場する。ところが『宗教世界膝栗毛』では、なんの説明もなく弥次喜多が生身で大砲の玉にへばり付き宇宙へ飛び出す。科学小説で科学の解説がないのも不思議な話だが、これは作者の知識・能力の限界が理由だろう。
しばしの宇宙旅行ののち、やがて弥次喜多は月ではなく、無闇矢鱈(むやみやたら)世界にたどり着く。この物語の設定では、星空に二つの奇星がある。ひとつは無闇矢鱈世界、もうひとつは宗教世界である。ここで世界というのは星のことで、現代的な表現に直すと、無闇矢鱈星と宗教星となる。この二つの星には科学もクソもなく、弥次喜多のノリと勢いしかない。その反面、無闇矢鱈世界にある五つの国がどのような政治形態なのかについては、かなり熱心に解説されている。宗教世界の国々も、無駄に数が多い。

宗教世界の地図(『宗教世界膝栗毛』挿絵、明治17年)

なぜこんなことになってしまうのか。単純に当時の日本では政治や宗教への関心が高かったからである。関心があるから情報収集が容易く、作家は集めた情報を全部突っ込む。知識が普及しているから読者も受け入れやすい。この程度の理由で題材が選ばれていた。とにかく月に向かった弥次喜多は方角を誤り、無闇矢鱈世界に着陸、ここでは朝に茶を頼むと夕方に出てきたり、宿屋の亭主をキリストだと思い込み弥次喜多が蝙蝠(こうもり)傘で撃退しようとするエピソードが描かれる。

キリストと宿屋の亭主を間違える弥次喜多(『宗教世界膝栗毛』挿絵、明治17年)

そうこうするうちアメリカの科学者も、無闇矢鱈世界にたどり着く。大砲の不完全な設計に気付いた科学者は、軽気球の開発に着手する。弥次喜多たちは科学者と宗教論争したりするも、論争のレベルはかなり低く、アメリカの科学者は次のように日本人をなじる。

米〔アメリカ人の意〕「馬鹿々々日本人馬鹿々々(ばかばかにほんじんばかばか)」
(英立雪『宗教世界膝栗毛』40頁)

それでもプロテスタントとカトリックの違いなど、多少は宗教に関する知識を得られる。今なら学習漫画のような位置付けになるのだろう。
やがて新しい宇宙船である気球が完成する。二人はまたもや実験台となり、気球に乗って宗教世界へと出発、高度が上がり宇宙に到達する。『宗教世界膝栗毛』が書かれる一年前、明治17年(1884)にやはりジュール・ヴェルヌの『気球に乗って五週間』(原著刊行は1863年)が、『[亜非利加(アメリカ)内地三十五日間]空中旅行』の邦題で出版されている。この展開もやはり先行作品をヒントにしていると考えるのが自然である。
作中で宇宙空間は〈昼の如く夜の如く明ならず闇ならず四望茫茫(しぼうぼうぼう)として遥かに衆星の囲繞せるたくさんの星がちらばっているのを見るのみ〉と描写されるが、弥次喜多は無重力状態のまましゃべり続ける。一応は空気がないので音が聞こえにくいという記述はある。この宇宙の描写は『月世界旅行』を参考にしているのだろう。
気球で宇宙を移動しながら、弥次喜多が作者の英立雪の噂話をしたり、キリスト教徒の喜多八が教義を語ったりするうち、空気がないため、さすがの弥次喜多も半死半生の状態に陥る。生死の境を彷徨(さまよ)いながら、10日を宇宙で過ごし、とうとう二人は宗教世界に到着する。

気球型宇宙船で宗教世界へ(『宗教世界膝栗毛』挿絵、明治17年)


そこはキリストが悪魔扱いされている国で、弥次郎兵衛はキリストに化け喜多八を驚かせようとするが、いろいろあって互いに互いが死亡したと思い込むもめでたく再会、弥次喜多が作者の英立雪に手紙を送ってこのお話は終わる。現代人にしてみると意味の分からない物語だと言えよう。
ちなみにこれは『宗教世界膝栗毛』の第一巻である。続編で政治について解説をする予定だったのだろうが、ありていにいうと『宗教世界膝栗毛』は失敗作で、続編は出ていない。
『宗教世界膝栗毛』と同じ時期、『東海道中膝栗毛』のパロディ作品が何冊か出版されている。例えば、明治19年(1886)に三五月丸(さんごのつきまる)が編集した『人体道中膝栗毛』がある。これは弥次喜多が予算難で旅に出れないため、ミクロ化し人体を見物するという物語で完璧に狂っている。

野村芳国による狂った世界観(『人体道中膝栗毛』挿絵、明治19年)


弥次喜多の二人が頭蓋骨から爪先まで旅行をする様子を描きながらも、人体の知識も織り込まれており、当時は乏しかった衛生概念の普及にも寄与した……といった記憶があったのだが、今読み返してみると耳塚がどうとか胃袋の温泉で病気が直るとか馬鹿丸出しなことしか書かれていなかった。『宗教世界膝栗毛』と同じくアイデアのみで強引に作り上げた作品だ。
なにゆえにこんなパロディが作られたのか。この時代には面白い娯楽作品が少なかった。最近まで弥次喜多とかいうのあったけど、あれっぽいの書いといたら売れるだろ……といった雰囲気が明治時代にはあった。昭和になっても、弥次喜多の紀行物語は幾度か作られている。ネームバリューがあるうえに、おかしな二人組が旅行をして、旅先でトラブルを起こすという構成は、単純であるがゆえに扱いやすい。物語の構造が物事の解説に適していたという理由もある。
『宗教世界膝栗毛』の話に戻ると、当時としては最新の物語だった『月世界旅行』や『気球に乗って五週間』の設定で、弥次喜多に旅行をさせるというのは面白い試みだ。ところが作者はあくまで江戸の戯作の技法で物語を書こうとしているため、かなり無理が出ている。


創作者の夢

西洋の物語と創作技法を組み合わせ、独自の娯楽物語を作りたい。近代人になっていくお客さんたちが、自然に受け入れてくれるような物語を書いてみたい。今となっては難しくもないことだが、そんな明治の創作者の夢が叶うまでには、険しく長い道程があった。
ただし日本という国は、幸福だった。江戸時代にも娯楽物語があり、ある程度のフォーマットはできていた。印刷技術や、貸本屋による流通網もあった。話芸が存在していたこと、識字率の向上、西洋からの技術を柔軟に受け入れたこと、諸々有利な条件が揃っていた。こういった複合的な幸運を経て、明治娯楽物語の花は開き、黄金時代を迎えることとなる。

というわけで明治娯楽物語を紹介していきたいところなのだが、明治人と我々の社会にはかなりの違いがある。当時の社会を知らなければよく理解できない作品を、彼らは平然と書きつづる。なぜならそれが明治人の当たり前だからである。
明治といってもかなり長い。その社会背景のすべてを解説することなど不可能だが、明治の創作者と読者の気持ちを多少なりとも理解するため、娯楽物語に関わるいくつかの事柄を次章で解説していこう。〈了〉

【本章で登場する主な書籍】
・『宗教世界膝栗毛』英立雪、兎屋大阪支店、1884/明治17年
・『[九十七時間二十分間]月世界旅行』ジュールス・ヴェルネ、井上勤(訳)、1880-81/明治13-14年
・『[亜米利加内地三十五日間]空中旅行』ジュールス・ヴェルネ、井上勤(訳)、1884/明治17年
・『人体道中膝栗毛』三五月丸、三五月丸(編)、1886/明治19年

日本推理作家協会賞【評論・研究部門】候補
『舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』
山下泰平

続き:第1章「超高速!明治時代ーー五倍のスピードで万事が動く」へ(近日公開予定)

内容紹介 
文学史&エンタメ史の未確認混沌時代(ミッシング・ピース)!
『東海道中膝栗毛』の弥次喜多が宇宙を旅行する、『舞姫』の主人公がボコボコにされる、身長・肩幅・奥行きが同じ「豆腐豪傑」が秀吉を怒らせる――明治・大正時代、夏目漱石や森鷗外を人気で圧倒し、大衆に熱烈に支持された小説世界が存在した。
本書では、現代では忘れられた〈明治娯楽物語〉の規格外の魅力と、現代エンタメに与えた影響、そして、ウソを嫌いリアルを愛する明治人が、一度は捨てたフィクションをフィクションとして楽しむ術(すべ)をどのようにして取り戻したのか、その一部始終を明らかにする。
※長いタイトルの通称は「#まいボコ」です!
※本書に登場する作品のほとんどが国立国会図書館デジタルライブラリーで全編無料でお読みいただけます。

著者について
山下泰平(やました・たいへい)
1977年生まれ、宮崎県出身。明治の娯楽物語や文化を調べて遊んでいる。大学時代に京都で古本屋をめぐうち、馬鹿みたいな顔で手近にあるどうでもいい書籍を読み続ける技術を身に付ける。 明治大正の娯楽物語から健康法まで何でも読み続け、講談速記本をテキスト化したものをインターネットで公開するうち、2011~13年にスタジオジブリの月刊誌「熱風」に「忘れられた物語―講談速記本の発見」を連載。2015年12月に「朝日新聞デジタル」に「物語の中の真田一族」(上中下)を寄稿。2019年に本書を刊行。2020年に『簡易生活のすすめ 明治にストレスフリーな最高の生き方があった!』(朝日新聞出版社)を刊行。
インターネットでは〈kotoriko名義〉でも活動。「 ブログ 「山下泰平の趣味の方法」 http://cocolog-nifty.hatenablog.com/ Twitter @kotoriko

続き:第1章「超高速!明治時代ーー五倍のスピードで万事が動く」へ(近日公開予定)