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幽霊の感触|怪談未満|三好愛

★本連載の書籍化が決定しました(2022年6月24日付記)

 小学四年生くらいのとき、塾の帰りの電車でのできごとです。ふと股に、生き物が這っているような妙な感覚があり、とても不思議に思いました。なにかの虫にしては動きに意思がありすぎる。人の指だ、と気がつきました。人の指が、動いてる。そのとき私は車内の通路に、座席と向き合うかたちで立っていたのですが、私の背後にいる人が、私の足と足のあいだに指を差し込んできているようでした。尻という存在と性的欲求が結びつくことはなんとなく知ってはいましたが、それがこんな塾で疲れ切った小学生の尻にふりかかるとは予想だにせず、股に差し込まれた指が、この先どういう行動をとるのか、私自身がどうしたらよいのかも、まるでわかりませんでした。ぼんやりと顔をあげると、窓の外には夜の街が走っています。視線を感じて、目の焦点を外から窓ガラス自体に移すと、いたるところにピアスがついている白い顔が、映り込みごしに、にやりと私に笑いかけていました。おそらくそれが、今、私の股で動いている指の主でした。暗闇にボワっと浮かんだその顔の不気味さは、目をそらして再びうつむき、事態をやりすごすには十分すぎるほどのおぞましさでした。

 その後進学した中学では電車で学校に通うようになり、朝の時間帯には、ずいぶんとたくさんの痴漢がいました。混雑具合は、小学生のときの塾帰りの時間帯の比ではありません。学校に到着しては友達と今日の被害状況を茶化しながら報告しあうのが常でした。人と人との隙間から、ぬぅっと差し出された手に、ときに胸をさわられ、尻をなでられ、身をよじっても避けられない場合が数多くありました。中にはただそっと手を握ってくるだけ、ということもあり、心理的な慰めを求めてきているのだろうか、と、とまどいましたが、そういう類の手については、邪険に扱えば、しおしおと諦めさせることができました。友達の中には、時間を変えても車両を変えても、執拗に同一人物が追いかけてくる、なんていう子もいて、なにがどうしてそこまでこちらの身体をさわりたかったのか、今でも理解に苦しみます。

 混んでいる車内では、人でぎゅうぎゅうだったのと、まだ身長が低かったので、私の目線だと、手をのばしてくる人の顔はよく見えませんでした。今だったらむしろ顔をにらんで声をあげ、等の手順を考えますが、その頃は、見えない顔を見ようとしないことに必死だったと思います。手や指の動きを、顔と結びつけてしまうと、人としての個を認めてしまいそうで嫌でした。個を認めてしまうと、いつか窓越しに映った、ピアスだらけの顔のように、記憶に残ってしまうのが嫌でした。それらの手は、人から分離した幽霊のようなもので、私が生活をしている世界とは、関係のないものでした。もし私に向かって差しのばされてくる手の根本に人がいるとして、その人が電車を降りて、会社に行って誰かと働き、家庭だって持っていて、私がいつも街の中ですれ違うような人たちとも見分けがつかないような存在だとすれば、世界とは、今、私がとらえているものとはずいぶん違うものでした。ずいぶん違うものである、ということを受け入れてしまっては、私がこの先この世界で、恋愛をしたり、学校を出てから働いたりして、新たな人間関係をつくっていくことはかなり困難なことのように思いました。電車の中で繰り出されてくるおかしな性欲を、たとえばその辺にいるサラリーマンが何食わぬ顔で隠し持ちながら歩いているのだ、と考えると、とても混乱しました。だから、私はいったん、手と人を切り離すことにしました。切り離して、そのあと数年間ずっと、幽霊みたいな手たちと一緒に、電車で学校に通いました。

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 そうして、その数年のあいだに身長がのび、少し気が強くなり、女性専用車が普及し、痴漢注意のポスターが増え、痴漢にあう頻度は、だんだん減っていきました。手をただの手としてとらえることで、頻繁に痴漢にあっていたその期間はうまくやりすごせたと思ったし、その後の人生、恋愛や仕事をするうえで特に大きな影響は出ませんでした。でも、そのとき私が発生させた幽霊たちは、はいそうですかと電車の中にとどまって、そのまま簡単に成仏してくれたわけではなかったんです。何年経とうが、手たちはふとした瞬間に、私の記憶の中にふよふよとわいて出てくるし、ピアスだらけの白い顔も脳裏であのときの表情を鮮やかにとどめたまま笑っています。それらをなかったことにするのは難しくて、かと言って私の中の大きな面積を占めてるわけではないんだけど、これからも、これらのことと一緒に生きていくんだなあ、と思うと正直うんざりします。あのときはなんの抵抗をすることもできなかったけれど、されるがままにああいうようなことをされてしまうと人は時間をかけてこういう心持ちにたどりついてしまうのだ、ということを、あの顔のない手の持ち主たちに詳しく知らせてあげたかった、と今さらながら思います。

著者:三好愛(みよし・あい)
イラストレーター。東京都在住。装画と挿絵を数多く手がける。主な仕事に伊藤亜紗『どもる体』、藤野可織『私は幽霊を見ない』、川上弘美『某』、深爪『立て板に泥水』、高橋源一郎『誰にも相談できません』、宮部みゆき『魂手形 三島屋変調百物語七之続』。クリープハイプのツアーグッズ・ビジュアルデザインなども手がける。初の著書『ざらざらをさわる』(晶文社)は「キノベス!2021」15位にランクイン。

短期連載「怪談未満」について
妖怪や幽霊が登場しなくとも、私たちの日常には、「あれっていったい何だったんだろう」と思えるような体験、ざらざらした感触だけが残るような出来事が起こります。私たちはそのたびに「なんだか納得いかないなあ」なんてことを思いつつも、いつも通りの生活に戻ります。でも、起きてしまったことにいちいち立ち止まり、目を凝らしてみたときに何が見えるのか。日常と非日常の境界にあえてとどまってみたときに何が起きるのか……。イラストレーターの三好愛さんがつむぐ言葉をてがかりに、日常にひそむ不可思議を再発見する新感覚モヤモヤ・エッセイ。全6回の短期連載です。


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