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いかれたマスター|常識のない喫茶店|僕のマリ

本連載の書籍化が決定しました(2021年8月4日付記)

 「変な人」というのは巷にはあふれかえっているが、わたしの知っているなかで一番の変人は当店のマスターである。「クセが強い」とか「個性的」とかいうレベルではない。「変人」と言うより、「狂人」と言ったところだろうか。この店で働き始めてからというもの、「世の中にはこんなにヤバい人がいて、店を経営しているんだ」という驚きと感動に包まれる日々である。飲みの席でつい本人に直接言ってしまったこともある。「ヤバくないです」と真顔で否定された。でも、同僚やお客さん、友人など、誰と話しても、誰に聞いても、「あのマスターはヤバいよね」と満場一致する。わたしもあと何年生きるかわからないが、死ぬ間際には必ずマスターの姿が走馬灯によぎると思う。そのくらい大きな存在で、人生観に影響をもたらした人物である。

 マスターはとにかく凄い。全部が凄い。見た目は……見た目は、まあ普通の元気なお爺さん。現在70代だが、かなり若々しい方だと思う。性格は基本的にはおおらかで、誰とでも仲良くできるタイプ。その一方で、かなり几帳面で砂糖入れやテーブルの位置はミリ単位で調整する。貼り紙に書く文字は定規を使って書くほどの徹底ぶり。手書きの文字はクセがあり、猟奇的な事件の犯人による脅迫文を彷彿とさせる 。そして何をするにも秒単位で行動、アスリートのようである。「さっきのお客さんは財布を出していなかったので10秒取られました」とか、「休憩が32分遅れましたね」とか、いつもボソボソ言っている。さらに、店の誰よりも乙女心が強く、かわいいものが大好き。ロマンチストゆえ、毎年従業員の誕生日には大きな花束を贈ってくれる。ここまではいい。しかし、マスターはいかれたエピソードのほうが圧倒的に多い。
 
 プライベートの話を聞くと、自営業なので健康には人一倍気を遣っているようで、「毎晩風呂で200回ジャンプしている」と得意げに語っていた。全然意味がわからなくて吃驚した。湯を張った浴槽のなかでジャンプすることによって、水圧も手伝って足腰が鍛えられるという理屈らしい。そんなことをしたら風呂の湯が全部なくなるだろと思った。マスターが風呂ジャンプをやり過ぎて膝を痛めていたときは、気の毒だが失笑してしまった。健康どころか負傷。本末転倒である。「筋力をつける為に夜道をチャリでめっちゃ速く漕ぐ」とも言っていたことがある。チャリをめっちゃ速く漕ぐのはウーバーイーツの人か小学生の男子くらいだと思っていただけに唖然とした。誰がやっても危険だし、リスクが高すぎるのでやめたほうがいいと制しておいた。毎日運動を欠かさないだけあって、マスターのフィジカルの強さは半端ではない。ある日、マスターが植木の水やりに熱中するあまり、公道にはみ出してタクシーに轢かれそうになったときは、店の中から見ていて肝が冷えた。「今轢かれそうになってましたよ」と注意すると「わたしが止めました」ときっぱり言うので慄然とした。自動車を体当たりで食い止める気概を持つ人が、まさかこの現代にいるとは。運動だけではなく、食事にも気を遣っている。栄養第一で、毎朝30種類くらいの食材とサプリを混ぜた特製のジュースを妻と一緒に飲んでいるらしい。どんな味がするのだろう。このジュースの効能を話しているときのマスターのどや顔は、『クッキングパパ』のように顎がしゃくれていて、なかなかいいと思う。
 
 人間像としては概ねこんな感じなのだが、マスターのいかれっぷりは店でこそ発揮される。マスターは裏方仕事がとにかく忙しく、基本的には接客したり調理をすることはないのだが、人手が足りないとたまに手伝ってくれる。助かるが、一生懸命すぎて狂気じみていることが多々ある。

 例えばーーこれは喫茶店あるあるなのだが、軽食の注文をとるときに、飲み物を食前に持ってくるか食後にするか、という問いかけに対し、「同時で」と言われることがある。食前「か」食後、と問うているのに、「同時」というまさかの第三の選択肢に我々店員は面食らってしまう。大手チェーン店ならば従業員も多く、同時での提供が可能かもしれないが、少ない人数で回す個人店には難しいことなのだ。もちろん、「そのほうが手間が省ける」と思って親切心で言ってくれる人もいるし、ただ単に「SNS映え」のために同じタイミングで持ってきてほしいというワガママちゃんもいる。混雑していると同時というのはなかなか難しい。そういった理由でなるべく食前か食後でお願いしているのだが、 この問題に直面したときのマスターがヤバかった。ちょうど店が混んでいて、マスターもあたふたしながら注文をとっているとき。「あ、飲み物同時に持ってきてくださーい」と軽い気持ちで言ったお客さんを前にして、「同時!?腕は2本しかないというのに、どうやって飲み物と食べ物を同時に作って出したらいいんですか!?」とパニックに陥っていた。当たり前だが、お客さんもパニックになっている。しかし、これは決して嫌味ではない。本人はいたって真面目に、純粋な気持ちで聞いているのだ。「同時に出す」というのは、秒単位で生きているマスターにとっては考えられない業なのだ。百歩譲って同時に出す努力をしたとしても、そこまでの緻密さは誰も求めてないだろう。お客さんには悪いが普通に爆笑してしまった。

 このように、マスターは「自分ルール」を遵守して生きている。一度決めたらそれを貫き通す姿勢はかっこいいいのだけれど、たまにそれがとんでもない方向に傾くことがある。基本的にはワイシャツにスラックスで店に来るのだが、マスター曰く「白いワイシャツのとき以外は接客できない」らしい。カラーシャツでは「店の者」としての雰囲気が出ないという理由らしいが、別に個人店だしマスターなんだから堂々としていればいいのにと思う。ある日、店がとても混雑して、誰も手が離せずにレジに行けない瞬間があった。マスターがちょうどホールを彷徨っていたのでお願いしたいところだったが、あいにくその日はグレーのワイシャツを着ている。接客できない日だ。レジで待つお客さんに「少々お待ちください!」と叫びつつ手を洗っていたら、突然マスターが厨房のなかに突進してきて、特になにもせずに出て行って、平然とレジを打ちはじめた。「自分ルール」はもう捨てたのだろうか。あとで「さっきなんで入ってきたんですか?」と聞いてみると、「お客さんからすれば、わたしが店の者だとわからないと思ったので、一旦厨房のなかに入るところを見せつけて“店の者アピール"をしました」と言うではないか。また顎がしゃくれてクッキングパパの顔になっていた。「誰も見てねえよ」と言いたいのを堪えて「なるほど」とうなずいておいた。ちなみに、厨房はレジの死角にある。

 「失礼なお客さんとは喧嘩してもいい」というのが当店のモットーなので、わたしも同僚も言い返したり追い出したりと、数え切れないほど戦ってきた。マスターも昔は変な客は追い出しまくっていたと語るが、今は丸くなったのかその必要がないのか、氏が戦っているところは見たことがなかった。しかし、半年前にマスターの「実戦」を初めて見ることができた。あの感動は忘れ得ない。

 混雑する日曜日。ひっきりなしに訪れるお客さんを捌いている最中、広い席に1人で座り、コーヒー1杯で長居するお爺さんがいた。「カウンターが空いているのでそちらに移ってもらえませんか」とお願いするが、「もう帰るから」と言いながらも店の漫画を読み続けて、一向に帰る気配が無い。空気の読めなさと底意地が悪い嫌な感じに手をこまねいていたら、マスターが闘牛の如くやってきて、言い放った。

 「なんで!どうして!席を!うつってくださいと!言っているのに!うつってくれないんですか!?外で入りたいお客さん待ってるんですよ?なんでどかないんですか?なんで帰らないんですか?なんで、漫画読んでるんですか?」

 激詰めである。マスターもお爺さんといえど、大人の男である。ここまで言われたら普通のお客さんは黙って帰る。このお客さんも渋々お会計をしたので、そのまま帰ると思いきや、踵を返し、マスターににじり寄って行った。「おい、客に対してこんな商売していいと思ってんのか」と怒鳴るお爺さん。にぎやかだった店内が騒然とする。しかし、わたしは不謹慎の化身なので、正直ワクワクしていた。店のど真ん中でお爺さん同士の喧嘩が見られるのだ。とんだ僥倖、絶景である。一体どんな台詞でこの客を言い負かしてくれるのか。期待に目を輝かせていると、マスターは仁王立ちで「なんで漫画、読んでたんですか!?」と叫んだ。「だから、こっちは金払ってんだよ」と真っ赤な顔で言い返す老人に、また「なんで漫画、読んでたんですか!?」と狂ったオウムのように繰り返していた。まるで論争になっていない。モラルやマナーの話をするのかと思っていたのに、なぜか漫画を読んでいた理由に執着している。狭い店内でマスターがちょっと地団駄を踏んでいるのもまた滑稽だった。まるで話にならないとわかったのか、老人は悪態をつきながら帰って行った。マスターの圧勝である。あんなに騒いだわりには、5分後には普通にカウンターに着席して読書し始めたのでまた笑えた。

 「変人」で「狂人」と言われると、マイナスなイメージを抱く人の方が多いかもしれない。マスターにも、欠点がないわけではないが、それでも自分を貫き通すこと、自分の世界を作り守り抜くことは、この国ではそんなに簡単なことではない。だからこそ、うちのマスターはマジでいかれてて、その生き様を羨ましく思う。

僕のマリ(ぼくのまり)
1992年福岡県生まれ。物書き。2018年活動開始。同年、短編集『いかれた慕情』を発表。ほか、単著に『ばかげた夢』と『まばゆい』がある。インディーズ雑誌『つくづく』や同人誌『でも、こぼれた』にも参加。同人誌即売会で作品を発表する傍ら、文芸誌や商業誌への寄稿なども行う。2019年11月現在、『Quick Japan』でbookレビューを担当中。最近はネットプリントでもエッセイを発表している。
Twitter: @bokunotenshi_
はてなブログ: うわごと
連載『常識のない喫茶店』について
ここは天国?はたまた地獄?この連載では僕のマリさんが働く「常識のない喫茶店」での日常を毎月更新でお届けしていきます。マガジンにもまとめていきますので、ぜひぜひ、のぞいてみてください。なお、登場する人物はすべて仮名です。プライバシーに配慮し、エピソードの細部は適宜変更しています。