お仕置きです|常識のない喫茶店|僕のマリ
本連載の書籍化が決定しました(2021年8月4日付記)
大学時代、居酒屋のバイトをしていたときに、酔ったサラリーマンの集団に「お姉さんは俺たちの中で誰と付き合いたい?」と聞かれて(お前ら以外だよ)と思ったことがある。女性用下着の会社で働いていたときは変態男性からの迷惑電話が多かった。電話で生理用下着の質問をされた後に「ところであなたはどんなのを穿いてるんですか?」と鼻息荒く聞かれたので「あたしねえ、生理あがっちゃったのよ」と咄嗟の嘘をついたらガチャ切りされた。閉経している可能性すら想像できないなんて、変態の風上にも置けないフェイク野郎である。客だから何を言っても許される、とでも思うのだろうか。直接身体を触られるような犯罪とまではいかないが、性的に消費されて不快な気持ちにさせられることが何度もあった。
余談だが、喫茶店の店員にタメ口の客も論外である。これは圧倒的に中年の男性に多い。所感では若い人のほうが「お願いします」「ありがとうございます」ときちんとした言葉遣いで接してくれるのだが、おっさんのタメ口率はまじで何なのと思う。早急に「命の母」が飲みたくなる。あまりにも腹が立って脳の血管がキレそうになるので「新聞とって」「コーヒー!」と言われても全部無視している。わたしたちはあくまでも他人なのです……。
こういう目に遭うたびに、「もし自分が女じゃなかったら」と思ってしまう。若い女の店員というだけでナメた態度を取られてしまうことは、これまで何度も体験してきたし、思い出すたびに怒りがこみ上げてくる。それは痛みにも似ている。しかし、わたしは自分の尊厳を守ることを諦めたくない。「男を立てろ」だの「何を言われてもニコニコ笑え」だの、(今は令和ですけど?)と思う。身近なところから声を上げていくこと。NOと言える勇気を持てば、少しずつ世の中は良くなっていくかもしれない。他人を変えるのは難しいから、わたしは自分が変わることを選んだ。
明らかに歓迎されていないのに毎日店に来て、コーヒーを飲みながら女性店員をじーっと見てくる中年の男がいた。自称カメラマンでいつもウィンナーコーヒーを頼むので、店員の間ではシンプルに「ウィンナーのカメラマン」と呼ばれていた。こいつがまた厄介で、お会計のときに「今度飲みに連れてってあげる」とか、「ハンバーグ好き?美味しいお店知ってるからご馳走してあげるよ」などとお気に入りの女性店員を誘ってくるので、みんな気持ち悪がっていた。ただじろじろ見てくるだけでも不快なのに(日に2回も3回も来たりする)、何が悲しくてプライベートで客のおじさんと食事に行かなければいけないのか。いつも帽子で隠している鳥の巣みたいな頭も憎くなってくる。常に「ご馳走してあげる」などと上から目線の言い方なのも謎だった。ウィンナーのカメラマンが来店する度に(キッッッッショ)と思ったし、なんなら声にも出ちゃっていた。わたしは最初から冷たくあしらっていたので、声をかけられることも誘われることもなかったのだが、誘われ続けている同僚からそういう話を聞く度に、悔しくて仕方なかった。うちはあくまで喫茶店、接待する義理などない。飲食店に不潔な気持ちで来ないで欲しい。
来店の頻度も多く、あまりにも腹が立ったので、ある日ウィンナーのカメラマンが退店する際に一緒に店の外へ出て、思っていることを全部言った。店内で言わなかったのは、わたしなりの武士の情けである。
「あなたが店の女の子を誘っているの、よく知っています。当たり前ですが全員嫌がっています。あなたに誘われてうれしいわけないですよね。うちはガールズバーではないので、もう来ないでもらえますか?はっきり言って迷惑です」
奴は最初こそすっとぼけた顔をしていたが、次第にばつが悪そうに「ああ、そう」と苦笑いして去って行き、二度と店に来なくなった。哀れな中年は店内で見るより格段に老けていて、(色ボケジジイがよ)と改めて腹が立った。たった数百円のコーヒー代で女の子を誘うなんて、セコいし根性が卑しい。
別に、ここまで言う必要もなかったかもしれない。誘いに応じなければいい、躱しておけばいいだけの話かもしれない。でもわたしは、自分と同年代の女性が、大事な同僚が軽んじられていることが、とてつもなく耐え難かった。女の子が嫌がっている時点で迷惑行為であり、立派なセクハラだ。言うまでもないが、セクハラはどんな関係や形であっても許されるべきではない。「そのくらい大目にみればいいのに」「減るもんじゃない」なんて言える人は、どうか自分の浅慮を自覚して悔い改めて欲しい。セクハラに限らず、ただ働いているだけなのに不快な気持ちにさせられるなんて、あってはならないことだ。心が死んでしまわないためにも、わたしは黙らない。しかしこれよりもっとずっと、胸のすく出来事があった。同僚であるしーちゃんから聞いた、彼女の武勇伝だ。「同僚観察記」と合わせて読むと、彼女の人となりがよくわかるだろう。
ある日、しーちゃんがワンオペで店を捌いていた。お盆だったせいもあり、予想外に店は混雑していた。一人で接客、調理、洗い物、テーブルの片付けや消毒、お会計をするということは、いくら小さい店でも大変なことである。小さい店だからこそ、第三者から見ても一人で店を回していることなど一目瞭然で、ほとんどのお客さんが気長に待ってくれていたのだが、一人だけ例外がいた。中年でガタイのいい、ちょっと半グレ風の男性客。一ヶ月に一回来るかどうかだが、長い間うちの店に通っているし、そのいかつい風貌も手伝って皆認知していた。激混みの店内ではテーブルを片付けることもままならない。それでも「いま片付けますので、おかけになってお待ちください」と言うしーちゃんに、半グレはなんと突然大声で怒鳴り始めたのだ。
「なんでこんなに混んでるんだよ」「早く片付けろバカ」と悪態をつき、終いには「マスターを出せ」とまでふっかけてきた。こちらはあくまでも「少し待って欲しい」と言っただけなのに、突然怒鳴り、他人をバカ呼ばわりするなんてどうかしている。ただでさえ一人でいっぱいいっぱいになって仕事をしているのに、理不尽に怒鳴りつけて萎縮させようとする、最低な人物だった。半グレは身長は180センチ、体重も80キロはゆうに超えている。到底力では勝てないし、ただでさえ男性に怒鳴られるのは怖いことだ。あまりにも怒鳴り続けるので、耐えかねたしーちゃんが「警察呼びます」と言うと、「警察」の一言で半グレは退店していった。
嵐は去ったと思いきや、うちは普通の喫茶店ではない。それで終わるタマではない。しーちゃんは店を飛び出し、逃げるように去って行った半グレを100メートルほど走って追いかけ、「こっちは一人で頑張ってんだよ!!!」と絶叫してやったというのだ。状況を想像するとじわじわ面白い。うちらはワンオペだろうが店を飛び出すし、お客さんを置いてきてでもやり返す。ナメないでほしい。中年の大柄な男が、華奢で若い女性店員に追い回されている姿を想像しただけで、このうえなく爽快な気分になった。バカはどっちだ、半グレフェイク野郎。わたしたちは心に虎を飼っている。
僕のマリ(ぼくのまり)
1992年福岡県生まれ。物書き。2018年活動開始。同年、短編集『いかれた慕情』を発表。ほか、単著に『ばかげた夢』と『まばゆい』がある。インディーズ雑誌『つくづく』や同人誌『でも、こぼれた』にも参加。同人誌即売会で作品を発表する傍ら、文芸誌や商業誌への寄稿なども行う。2019年11月現在、『Quick Japan』でbookレビューを担当中。最近はネットプリントでもエッセイを発表している。
Twitter: @bokunotenshi_
はてなブログ: うわごと
連載『常識のない喫茶店』について
ここは天国?はたまた地獄?この連載では僕のマリさんが働く「常識のない喫茶店」での日常を毎月更新でお届けしていきます。マガジンにもまとめていきますので、ぜひぜひ、のぞいてみてください。なお、登場する人物はすべて仮名です。プライバシーに配慮し、エピソードの細部は適宜変更しています。