絵がある生活

展示が終わってから1ヶ月以上経ってしまった。柏がとても嬉しい感想を書いてくれたので私も早く書きたかったものの、文章を書く気力が湧かなかった。というか、展示を終わって何か感情が生まれるものではないのかもしれない。
それよりも、展示に至るまでのプロセスが重要だったと思う。深夜、シューゲイザーとかサイケ音楽を聴きながら、自己肯定感マックスの躁状態で描く絵は本当に気持ちよかった!完全にゾーンに入っていて、私は「自分の絵めちゃくちゃいいじゃん」と悦に入っていた。多分このゾーンは良くない笑
でも、これまで自分の絵に自信が持てなかったから、最初は浸っちゃって良かったのかも。もっとシビアに作品を見ていきたいけどね。

去年からすでに展示場所と日程は決まっていたのであとは制作するだけだったのに、中々動けなかった。油絵を3枚は出したいと決めていたものの、どんな展示空間を作れるのか漠然としていた。ぼんやりと展示のイメージを考えながら、捗らない日々に焦るばかりだった。
1ヶ月前にようやく一枚が完成した。これは柏が言ってた「夕暮れの海。女の子の姿が真ん中に大きく、シルエットのように描かれている。
隣にもちが来て、それは高校生の自分だと教えてくれた。」の絵のことだ。
ドローイングばかりでなかなかキャンバスに描くことができなかったとき、自分の原風景を描けたら良いなとなんとなく思い、故郷の海の写真を見ていた。
向こう岸に落ちていく夕日は眩しく、オレンジと青が混ざった空気と私の影が海沿いの窓に反射する。少しずつ街は深い青に溶け、反射した自分も同じように消えていく。
言葉にするのは難しいけど、その時間は当時の私に特別な意味を与えていた。子供から大人になるときに消えてしまうであろう感情をずっと心に残していたかった。
確かにそれらの生の記憶や思いは薄れてしまったものの、消えてしまうものではなかった。そのときに感じたものは私の中に今でも流れ続けている。
そんなことを考えていたら、初めて絵が完成した。絵を描き上げた、という実感を持つのは初めてだった。
2枚目はもっと実験的なことをしようと思い、支持体を変えて色々と遊べたような気がする。他の作品も同時に進めながら、1枚目に比べると軽やかな気持ちで描けたものが多い。純粋に、とても楽しい時間だった。絵が好きだと思った。

とは言ったものの、展示期間はどんどん近づいて、ずっと気が張っていたような気がする。2週間前になると脳からドーパミンが溢れて覚醒状態が続き、寝付くことができないせいで連日寝不足だった。おいおい仕事は大丈夫か!状態だった。
でも、疲れていたけどその状態でいられることが嬉しかった。本当にやりたいことをやれているんだな、という実感がじわじわと沸き上がった。自分の意思で生きている感じがした。

あれだけ準備したのに、実際の展示はあっという間に終わってしまった。
展示期間中はたくさん友達が観に来てくれて本当に嬉しかった。感想もいただいて、あなたの絵が見たかったから来たと言ってくれた初めましての方もいた。とてもスペシャルな四日間だった。

これをバネに私は走り出せたと思う。もう、絵を描くことを人生の重荷だとは感じない。辛いものだと思わない。それがすごく嬉しい。
そして、作品を見せるのであれば攻撃的なものは作らないようにしたいと思った。絵を描くことはとてもパーソナルな行為だからこそ、人を傷つけてしまう可能性も孕んでいる。
なぜ絵を描きたいのか、なぜ人に見せたいのかという欲求はまだ説明がつかないけれど、今はまだ説明がつかなくて良いと思う。絵を描きながらわかることがたくさんある、ということが今回よくわかったからだ。

絵を見に来てくれた柏、本当にありがとう。
私頑張るよ〜!

p.s.連続して書いてごめんね。大変お待たせしました。

もち

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