等価交換。

人間関係は、等価交換が成立してるから、長続きするようです。
等価交換が成立できなくなれば、それでも等価交換を成立させるために、その人間関係そのものを崩壊させていって、むりやり等価交換にしてしまいます。そして、精算させてしまいます。

そうですね。この文章だけだと、ちょっとわかりにくいので、例えを出してみますね。

私が誰かにたいして、お悩み相談占いを無料でやったとします。
LINE占いなどの占いサイトの相場を見ていただくとわかるかと思いますが、だいたい一時間一万円前後、十分二千円程度の相場の価値のことをあえて、無料で施したとします。
すると、それを受けた相談者って、その一時間一万円にあたるナニカを私に返してくれて初めて、私との人間関係において、等価交換成立となるんですよね。
お金の金額で説明すると価値の量がわかりやすくなるので、お代金で説明しましたが、これは必ずしもお金である必要はなくて、食事でも、子守りでもいいし、自分の家に泊めるでも、欲しい物リストのプレゼントでも、わりとなんでも成り立つんです。
ただ、モノや行為というのは、結局、お金よりも価値観がズレやすい部分もあるので、お互いの心の中の等価交換とはなりにくい一面もあるようです。
これをもう返せないとなると……。
最後は喧嘩別れしたりフェードアウトしたり夜逃げしたりして、人間関係そのものが終わって等価交換が成立するという仕組みです。

これって、人間関係だけでなくて、場所とか会社とか、人ではない存在にも、適用されていまして。
中学生、高校生で未成年者だからといって、あるいは大人であっても稼ぎ少なくてお金持ってないからといって、本来有料級の場所への出入りも本人は無課金でないといけない、としばりをつくりますと……。
その無課金者として遊ぶ場所のほうが、貧者や子供たちからお金以外の価値を提供してもらえるように、様々な方法で求めてしまうんです。

それって、結局、服を脱いで(なくても)オッサンの性的なオカズになるとか(そうすることでオッサンは、その子供のかわりに、遊んでる場所へ等価交換代金を肩代わりして支払ってくれるからね)
あるいは、やたらとオモチャの広告を垂れ流して、オモチャが猛烈にほしい子供になってきてしまって、親におねだりして困らせたり、結局親が広告主の売りたいオモチャを買い与えることで、その遊べる場所に対して、等価交換成立となります。
あるいは、その子供の好きなことが才能となって、天才が育つ過程を見守り、新たなコンテンツが生まれ育つ過程を応援するために等価交換代金を支払う大人が集まるというカタチでも、場所にたいしての等価交換は成立します(ただ、このパターンの等価交換は、近年は、なかなか成立しづらくなっていたりもします。)
このバランスが取れてるうちは、遊べる場所の存在そのものも、続きます。

しかしながら、そのような警告をずっと無視して、本来ならば、維持運用するだけでもお金のかかるハイクォリティーな場所で無料で遊ぼうという意識のままで居てますと……。あるいは、その場所に人が集まることすらもなくなっていってしまいますと……。
最終的には、その場所そのものの採算が取れなくなってしまうので、いつも遊んできた場所のサービスそのものが終わる、というカタチで、等価交換が精算されてしまいます。

今は比較的好調なYou Tubeですらも、TikTokですらも、例外ではありません。

世界中の人の中で、等価交換がわかるオトナが、ちゃんと広告代なり、スパチャなりを代わりに課金しているから、成り立ってるだけの場所です。

その危ういバランスというのは、忘れないでください……。

しかも、これ、エンタメだけではなくて、日々の生活に必要なモノすべてに適用されていたりもします。
服を売る店で服がよく売れることで、服屋さんは、より良い生地の服をつくることやよりたくさん服が出来るように、お客様からもらったお金を使い、また服屋さんの商品が増えて、売上が増えて、子供にも服屋さんになるために、服の仕入れ方から教えていって、次世代の服屋さんになっていく……という循環が生まれてきて、はじめてお店が続いていきます。

そのお店の売り上げの循環そのものがたとえうまくいってるように見えても、その店主の息子が、お店の跡を継がずに都会でどこかの会社のサラリーマンを始めてしまえば、そのお店は現店主の命の寿命とともに終わりを迎えることになります。

服屋さんがもらったお金を、息子の教育費に使った結果として、なぜか息子は学校の先生になるとか、大企業のサラリーマンとして、わけわからん仕事しはじめてしまうと、これは、その服屋を愛していたお客様から見ると、等価交換が成立しなくなるので、店の売上や店の寿命というカタチでむりやり精算されちゃうんですよね〜。

ただ、私は、お店などの場所や人間関係が終わるということについて、そう否定的でもないということも、一応書き足しておきます。
あまりにも、長く等価交換が続きすぎてしまうと、それがお互いにとって、縛りになってきてしまうこともあるからです。
そうやって、壊れて、またちがう姿になることも必要なことです。

まぁ、理不尽に見えるカタチではありますが、ムリをさせると、どこか別のところで歪みを取るようなカタチで精算されていくんです。
そうやって、バカでかい世界中でバランス取ってるから、この銀河系そのものも、宇宙も地球も、国も、人間も……何もかも存在できているのです。

これが、昔からよく言われている「タダほど高い買い物はない」とか「安物買いの銭失い」とかのことわざの理由です。

そうはいっても、近年では、グローバル社会の価値観の影響からか、近所の少ない人間関係を保つために等価交換になるようにがんばるよりも、等価交換にならなくても、もらえるものは、出来る限り多くおねだりするだけしてもらっておき、相手から支払い請求きたシーンで夜逃げして関係性を精算することで等価交換にする、という手法の方が良くなってしまっていて、その行為を繰り返すことで、彼らは「人間関係そのものが貧しく」なっていってしまいます。
これが、「関係性の貧困」の正体の一部でして。

で、相手の状況お構いなしに、相手の求めてないモノを与えて、これで等価交換成立ってことにしましょ、という手法にしても、それって、相手からすると、ただの押し売り的なことにしかならないので感謝の気持ちは生まれてこないので、結局、価値観のズレという言葉で表現されやすい理由で、喧嘩別れやフェードアウトして、等価交換成立させていくことになるようです。
コレに関しては、単純に何が問題なのか、説明しにくく、ピンと来てないことも多いので、悪意がないだけ、まぁアレですけども……。

あと、これ……お金持ちと言われる人がお金を隠したり、比較的ケチな振る舞いをする理由にもつながりそうな話でもあります。
お金を誰かに与えた話を見聞きしただけで、そのお金が欲しい人は、「この人に頼めば、お金もらって、返してくれって言われた瞬間に逃げればお金持ち逃げできるぞ」と考えたりします。
すると、そういう人ばかりすり寄ってきます。
または、誰かから、「恩をもらっておきながら、その恩を等価交換成立するようにお返しすることもなく、その恩は無料だと評価する」と、そう評価した本人が「この人は無料で何でもやってくれる人なんだな、無料でええ人なんやな。」と思われて、そのような行為が現実として返ってくるという現象に遭い、悩まされるだけなんですよね〜。

そうなると、その人はお金が足りなくなるので、サービスを受けたいときに支払う代金が減ってしまっていて、助けられることも減るという悪循環ですね……。

で、この状態にイライラしてきてしまいますと……「恩を仇で返す」という現象が起きやすくなるのです。
つまり、恩は、結局その人の欲しいものではないというか、その人からしたら、いらん世話だった、かもしれないという。

ただ、だからといって、無のまま過ごすには、人間の世界というのは長すぎるので、なんかしらの等価交換の試みが生まれては、うまくいかなくなって消えていくのを繰り返しながら、いつしか、等価交換のコツを掴んで、お互いにとってムリなく出来る等価交換が長持ちしていく相手も見つかっていき、だんだんと人間関係が良くなっていく。
そういう循環もあるようです。

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