独学日記-33 2021/02/06

○やったこと
・基礎から学ぶ認知心理学の通読(40/40)

基礎から学ぶ認知心理学を通読した。
認知心理学というものは私の過ちがなぜ起きたのかが起こした当事者としてわからなかったからこそ、なにかつかめるかもしれないと思い勉強することを思い立ったものであり、そこをさらっと触ったに過ぎないのだろう。
深く、わかっていないことが多すぎるように感じた。

一通り読んでみて、これは本来の目的からは微妙にズレる選考基準ではあるのだが、これを読んで私が学びたいと思ったのは判断・意思決定に関するところである。
人間というものがどういう基準でそれを選ぶのか。どうしてその行動が最善手と思い行動するのか。そういうことに興味を持つ。
それはもちろん私のもともとの目標と乖離するものではない。
私はなぜそうと考えたのか。その行動をしたのか。それがわかるに越したことはない。

現状ではまだ足らない。
昨日のこの記録に書いたとおり「自分が何を学びたいのか」を私は頻繁に忘れる。なにを求めるのか、なにが必要と考え行動するのかを忘れる。
そこをはっきりさせる必要性はあるとして次に何をするか。

まず認知心理学という分野について舐めた。
それからどうするかといえばやはり自身にとって一番惹かれる判断・意思決定について勉強することになるだろう。
他にもするべきことはある。語彙を増やす。日本語文法を学ぶ。それについても止まったままだ。やれることをしなくちゃならない。

ひとつ、何故思い出したのかわからないが私が学びを続ける理由の一つを忘れないために書いておく。
マスターキートンという漫画の中のセリフの一つ。「屋根の下の巴里」という話の中のセリフ。

愚かな行為が人間の性だとしたら、それを学び、克服することは人間の使命と言えるのではないでしょうか
人間は一生学び続けるべきです。
人間には好奇心、知る喜びがある。
肩書や、出世して大臣になるために学ぶのではないのです……。
ではなぜ学ぶのでしょう。
それは人間の使命だからです。

私は私の中にある「性」を知り、それを克服しなければならない。

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