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ディエゴ・マラドーナについて

昨日も書いたが、ディエゴ・マラドーナが亡くなった。
Jリーグ開幕からサッカーを見ているから、彼の現役時代は全く知らず。
その辺りを以前の読書レビューで「サッカーとイタリア人」で読んだ記憶があったので再度読んでみた。

その章がコレ↓

ナポリは南部イタリア最大の都市で、イタリア全土だとローマ、ミラノの次に大きい都市だそうな。

その都市に1984年7月5日にスペインのバルセロナから移籍して来たMFがいた。

それが当時24歳のディエゴ・マラドーナだった。


バルセロナがナポリに掲示した移籍金は当時史上最高額の140億リラ(当時のレートで約10億円)。

クラブが獲得資金の調達に四苦八苦しているのを聞いた市民たちが、銀行に押し寄せ、自らの資産をクラブのために融資することを願い出たという話は、あまりにも有名である。
(本文から引用)

マラドーナの祖母がナポリ出身であり、ナポリ人の血を引くフオリクラッセ(イタリア語で〝抜きん出た力を持った選手〟のこと)を歓迎しにサン・パオロ・スタジアムに、八万人ものナポレターノス(スペイン語でナポリ人たちの意)が押し寄せて来たそうな。

そしてマラドーナは『ナポリの貧しい子供たちのアイドルになりたい。彼らはブエノスアイレスに住んでいた頃の自分のようだから』」(金子達仁監修『マラドーナ自伝』117~118頁)と言ったそうな。

そんな相思相愛な関係で、移籍後すぐに14ゴールを挙げ、チームを8位へと導く。

そして、翌85―86シーズンには、ナポリをユーヴェ、ローマに次ぐ3位へと引き上げた。

メキシコで、"神の手"でW杯を高く掲げてから10カ月後。

1987年5月10日のセリエA第29節、ホームでのフィオレンティーナ戦に引き分けても優勝というところまで漕ぎ着ける。
結果は、1―1のドロー(ナポリの得点はアンドレア・カルネヴァーレのもの。
ちなみにフィオレンティーナの1点は、あのロベルト・バッジョのセリエA初ゴールであった)。

主審の終了のホイッスルが鳴り響いた瞬間、ナポリの史上初のスクデットが決まったのである。
(以上、本文から抜粋)

そんな歓喜を味わったが、、、

1991年5月29日のナポリ対サンプドリア戦後のドーピング検査で、マラドーナの尿からコカインが検出されたのだ。規律委員会からは、すぐに15カ月の出場停止の判決が言い渡された。それは、事実上のセリエA追放宣言であった。
(以上、本文より引用)

此処でコカイン、、
もう麻薬をやってたんだ。。

それからナポリを去ったマラドーナ。。

そんな彼をナポリ市民は、、

「マラドーナは不滅」 レジェンド死去にナポリ涙、カルチョ界が追悼 「太陽ある限り、光り輝く」(中村大晃) - 個人 - Yahoo!ニュース

まだまだ彼の事を愛してると感じるコメントが多数。

本当の英雄とはこのナポリとマラドーナとの関係を言うのかもしれない。

本当、サッカー文化。。
この場合はカルチョと言ったほうが良いのかな?
カルチョ文化が定着しているイタリアならではの追悼だと思う。

コレほどのスーパースター、、、
日本ならキングカズくらいかな?

いや、まだ彼は現役だから縁起でもないけど、彼くらいしか思い付かない。

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