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【歴女?かしるい 足利学校に入学する】

🐱久しぶりの歴女?シリーズ笑。今回はずいぶんとまえのお話です。何度も行ってるので記憶も写真もごっちゃごちゃ。


入学準備

時間にして3時間はゆうにこえる。
潮来から足利は遠い。

高速道路は怖くて乗れない。ましてあの煽り運転のニュースを見てからはよけいに怖くて乗れなくなった。

だからといって運転は好きなので、だらだらと休みの日はどこかに行くというパターンを繰り返していた。

足利はまえから気になっていた場所だった。それこそ今まで週末にダーツの旅のような感覚で向かった場所とはまるで違う。どうしても鑁阿寺や足利学校には行ってみたかった。

とりあえずクルマに乗り込みひたすら走る。潮来から霞ヶ浦、土浦、つくばの北条を抜け、結城、小山、佐野を越えて行った。10時ころに出発して昼の3時前かな。運転してるのは好き。

足利のベースキャンプ 太平記館

太平記館は足利学校近くの観光案内所とお土産屋さん。駐車場は無料だったので、ここにクルマをとめてさっそく歩く。

太平記館は足利学校や鑁阿寺(ばんなじ)に行くには最適な場所だと思う。

ここでは相田みつをさんのボールペンと渡良瀬橋クッキーを旅の最後にまとめて買った。「だって人間だもの」。

相田みつをさんは足利市の生まれ、渡良瀬橋は森高千里さんの「渡良瀬橋」で有名だ。

ここから鑁阿寺、足利学校とまわった。

そういえば、太平記館には大河ドラマ『太平記』の主演を務めた真田広之さんがつかった鎧が展示されていた。

真田広之さん着用の鎧だった

鑁阿寺(ばんなじ)は忘れられない場所

国道に架かる歩道橋を渡ると足利学校の裏門にでる。この路地からだんだんと可愛い雑貨屋さんや美味しそうなお店が増えてくる。

足利学校 裏門

足利学校の入口(入徳門)がみえるけど学校は帰りに行くことにしていたのでわたしはまっすぐ歩く。相田みつをさんと縁のある蕎麦屋さんを右に曲がると遠くに鑁阿寺の山門がみえる。足利尊氏さんの像を左にみれば鑁阿寺の山門はもうすぐだ。たしかわたしの好きなあまから家さんの近くにかわいい魚がいた。

最近どう?
(再掲です)
ひましてる

堀にかかる橋を渡って山門をくぐる。鑁阿寺の山門でごろごろしてた猫さん、堀を優雅におよぐ鴨さんや鯉さんたち。鳩さんもいたな。大銀杏がきれいだった。ごろごろ猫さんや鴨さんたちの写真がなかった。撮ったはずなんだけど、たぶん実家のパソコンのなかだと思う。

反橋
反橋の説明 下にみえるのが鑁阿寺
…でこれが鑁阿寺 とても立派だと思う
「だって大切な場所だから」
(再掲です)

鑁阿寺は足利氏の氏寺で、もとは足利氏の居館に堂宇をたて大日如来さんを祀ったのがはじめだったらしい。例によって難しい説明板はながめてつぎにいく笑、境内の多宝塔、御霊屋(みたまや)などすべての建物をみてまわり、東門からいったん外にでてぐるっと堀の周囲を歩いて再び境内に入った。

そこであじさいを撮っているとき声をかけられた。たしか3度目の鑁阿寺のとき。わたしにとってはすごいことだった。そして鑁阿寺は忘れられない大切な場所になった。「恋したって いいじゃない だって人間だもの」

大銀杏
(再掲です)
紅葉🍁
(再掲です)

本当はわたし足利尊氏さんよりも

鎌倉に攻めこんだ新田義貞さんの方が好き。後醍醐天皇に翻弄されながらも楠木正成さんと南朝を支えた人だ。

歴史好きの父が盛んに新田次郎さんの『新田義貞』を進めるので読んでみたら感情移入して泣いてしまった。

読み終えたときなんて、今でいう義貞ロスって感じだった。なので尊氏さんより義貞さん推し。ごめんなさい。

さぁ、いつものようにあまから家でハヤシライスを食べてから足利学校に行きます笑。

かしるい足利学校に入学する!

路地を歩いて学校の入徳門をくぐりさらに学校門と進むと背すじがのびる気分になる。
いよいよ、かしるい足利学校入学です!

中央に小さくみえるのが学校門
学校門

この学校門の手前、左手には孔子さんの像がある。三毛さん?が寝てた。ねこさんは好き。犬さんも好きだけどね。

孔子さん
三毛さんがこっち向いてて可愛い🐱

なぜ孔子さん?と思うかも知れないけど、足利学校は儒学を全国から集まった僧侶や武士たちに教えていて、その儒学のご先祖さんが孔子さんだったから。もっとも歴史的には兵学が主だったみたいだけど。軍師官兵衛さんとか武田信玄さんの軍師山本勘助さんとかは入学してたのかな。敷地内には孔子廟(霊をまつる家)もあった。

中国の3大仏教は儒教、道教、仏教っていうけど、このうちの「儒教」を学ぼうというのが「儒学」で、ありがたい教えだから、君たちにも教えてあげようって教えたのが「儒学者」。ざっくりすぎるけど。

つまり、足利学校は今でいう最先端の学びの場だったってわけ。オックスフォードみたいなもんか?笑。あのイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルさんもすげぇ流行ってる学校があるぜって、イエズス会の日本通信だったかに紹介してるらしい。なんてグローバル✨。

足利学校は日本最古の学校といわれているらしいんだけど、歴史的にはっきりしてるのは足利尊氏さんよりも後のことらしい。でもやっぱり希望としては「足利」だから尊氏さんのご先祖さんの足利義兼説を勝手に推しておこう笑。

足利学校の創建については、奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説などがありますが、歴史が明らかになるのは、室町時代の永享11年(1439)関東管領・上杉憲実(うえすぎのりざね)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、鎌倉円覚寺から僧・快元(かいげん)を招いて初代の庠主(しょうしゅ=校長)とし、足利学校の経営にあたらせるなどして学校を再興してからです。

足利市公式ホームページ 史跡足利学校より

お気に入りは学校門を入り、右に「南庭園」を眺めた先にある「衆寮」と呼ばれる場所。わたしはここでかならず同じ構図で写真を撮る。薄暗いけど、あたたかみの感じられる場所だと思う。

懐かしさを覚えるあたたかみのある感じが好き
説明は貼っておきます笑

学校内にも入ることができる。勉強するところもすごく広い。南庭園が良くみえて風通しも良かったのを覚えてる。

足利学校 方丈
ここからなかに入れます

学校の入口(方丈)に「宥座の器」というのがある。写真がなくて拡大した笑。柄杓でぶら下がっている容器に水を入れるんだけどなかなか上手くいかない。容器にちょうど良い量の水が入ると絶妙なバランスで水は容器からこぼれない。水の量が以下でも以上でもバシャってこぼれちゃう。孔子さんの「中庸」(ちゅうよう、ちょうどいい感じ)っていうの教えてくれてるらしいんだけど、何でもほどほどが良いよってことなんだね笑。

宥座の器
学校内からみた北庭園

かしるい苦手なお勉強するも身につかず

足利はこの足利学校の影響だと思うけど、今も孔子さんの教えが根づいている感じがする。『論語』の精神と言っても良いのかも。

おじいちゃんの部屋に貼ってあったこれも孔子さんだったみたい。15歳で勉強頑張って、30歳で自立して、40歳で迷わないとかいうあれ。

子曰く、吾十有五にして学に志す、
三十にして立つ、
四十にして惑わず、
五十にして天命を知る、
六十にして耳順う、
七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。

子曰、
吾十有五而志干学。
三十而立。
四十而不惑。
五十而知天命。
六十而耳順。
七十而従心所欲、不踰矩。

「私は十五才で学問を志し、三十才で学問の基礎ができて自立でき、四十才になり迷うことがなくなった。五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった。」

40にして惑わず。-現代版解釈1『論語・為政』-

わたしの人生この言葉通りにはならなかったけどね笑。

...っていうお話。

🍙足利は東の小京都と呼ばれるだけの魅力がある。再び行きたいと思う。当時は織姫神社にもいったし、名草巨石群にも行った。渡良瀬橋にある森高千里さんの歌碑にも行った。ほんと大切で忘れられない場所です。


撮影場所:栃木県足利市 鑁阿寺、足利学校ほか。
Photo by かしるい

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20151203

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