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101実力主義の社会を生き抜くために忘れてはいけない、実力よりも大切なこと

「世の中は理不尽だ」
「スキルは裏切らない」
「手に職をつけないと」
日々熱心に勉強に励んでいて、周りにも「あいつは努力家だよね」と評されているのに、なかなかチャンスに恵まれないという人は意外に多い。

そして努力がなかなか実らないとなると、
「チャンスに恵まれないのは、自分に実力が足りないからだ」
と考え、一層激しく実力磨きに力を入れているような人も、たくさんいるように思える。

事実として、世の中は実力主義だ。実力がないものは簡単に淘汰され、勝ち残れない。仮に合理的といえない理由で不遇な立場に置かれることがあったとしても、揺るぎない実力さえあれば、またどこかで必要とされるはずだ。

実力とは、現代社会における武器であり、そして最大の防御法でもある。


世の中を実力主義だと捉えておくことは、確かに大切だろう。
そのほうが、いろいろなことに備えられるようになる。

しかし僕は、この「実力信仰」は、
必ずしも実態を反映していないと考えている。

実力主義の世の中だからといって、「実力を磨く」ことだけに集中するのは、実は危険で、本当は、もっと先に考えておくべき重要なポイントが抜け落ちているように思うのだ。

僕は、「実力」「成功」に意見していいほどの大した人間ではない。
でも、そんな凡才の僕がこの話をすることには、それなりの意味がある。
きっと、メリットに感じてもらえると思う。
少しだけ、この話をさせてほしい。

実力よりも大切なこと

最初にすべての結論を言ってしまおう。

実力よりも遥かに大切なこと、それは、「自分のポジション」である。
だから、
自分のすべての力は、「自分のポジションを取りに行く」ために使ってほしい。

なぜ、「ポジション」が実力よりも大切なのか。
それを説明するために、ささいなストーリーを紹介したい。

なお、言葉の定義はこちら。
実力=「自分のやりたいことを、思い通りに実現できる力」
ポジション=「社会の中で自分が位置づけられている場所」

(辞書も見つつ、この記事に合わせて”感覚的に”定義しています)

「同じ話」なのに、周囲の反応が違う

僕は新卒で損保会社に入って3年ちょっと営業マンとして働き、その後転職。
今は本の編集者として実力を一生懸命に磨いている。

金融の営業マンとして3年。
未経験の編集兼営業として2年弱。
そしていま編集者。

これが僕の経歴。
つまり、僕は、僕のひとつながりの5年の間に、3枚の名刺を経験している。「3ポジションを経験した」と言ってもいい。

「だから何?」と思うかもしれない。
話はここから始まる。

僕は、大学で剣道をやっていた。初心者として大学から剣道を始めたので、比較的、珍しがられることが多い。
この話を自己紹介の一つとして、多くの機会で使っている。こんな、なんでもないただの世間話を何度もしてきた中で、僕は、あることに気づいた。

3つのポジションそれぞれによって、
同じ話でも、相手の反応が全く違うのだ。

「大学から初心者で剣道を始めたんですよ〜」

■金融の営業マン のとき
「根性がつきそうだね! 子どもにやらせようかな」
「寒いのも暑いのも、しんどいって聞くよね」
「会社の部はかなり強いよね。入ったらどう?」

■未経験で入った編集兼営業 のとき
「やっぱり、新しいことに挑戦するのが好きなんですね」
「まさに、二刀流ってことですね」
「カタい世界のこともわかるのは、強いですね」

■編集者
「ムサシの剣は読んだことある?」
「剣道の面白さって、どこにあるんですか?」
「剣道と弓道って、戦ったらどっちが勝つんですかね」

(記憶をもとに、特徴的な部分を抜粋)

同じ話をしているのに、周りの反応はここまで違う。

なぜか。

僕はこの理由こそが、「ポジション」だと考えている。

人は人のラベルを見て、レッテルを貼る

このことから感じたのは、
人は相手のポジションに合わせて会話をする
ということだ。

もっと詳しく言えば、
「人は人のラベルを見て、レッテルを貼る」
そして、それに合わせた会話をする
のである。

たとえば、以下のように。

■金融の営業マン
「体育会系なので、金融営業の適性」がありそう
「これからの関係の円滑さ」を予想させる
「新卒ならではのフレッシュさ」がある気がする

■未経験の編集兼営業
「チャレンジングな姿勢」をイメージする
「門戸を叩くプロセスの特異さ」がある
「出版界における異色さ」を感じる

■編集者
「コンテンツに触れること」が好きだろう
「面白いものを見つけること」も得意だろう
「ものを考えること」に関する話がしたい

このように、人は会話の前に、その人のポジションを確認して、仮説を立てる。そして、それに合った会話を自然とチョイスしている。

これは、目の前の人と円滑にコミュニケーションを取るために、多くの人が無意識に、そしてほぼ100%実践している会話術だろう。

人のイメージは、ポジションでほぼ決まる

これはつまり、その人のイメージはほぼ「その人のポジション」で固まってしまうということを意味している。

「大学から初心者で剣道を始めたんですよ〜」という話を受け取ったときに、

■金融の営業マン なら
「剣道をやってたなら、根性があって礼儀もわきまえているだろう」

■未経験の編集兼営業 なら
「剣道を大学から始めたなら、チャレンジングなバイタリティがあるだろう」

■編集者 なら 
「剣道をやっているときも、きっといろんなことをを考えるんだろう」

のように。

僕は、この現象をこのように整理した。

僕はまず、人にポジションを理解される。
そして、しばらくの間、僕は「そういう人」になる。
僕の本当の中身が知られていくのは、その後
だ。

恐ろしいことに、僕らはこの呪縛から、絶対に逃れられない。

僕は、相手の仮説・イメージによって、
「どういう人か」を決められてしまう。

そして、僕の本当のパーソナリティは、
手がかりがなければ、その人の前では永遠に見出されない
のである。

これは、みなさんが「宇宙人と初めて対面したとき」を想像すればわかりやすいかもしれない。
目の前に宇宙人のウチュチュくんがやってきて、司会の人に「人類の代表として、今から二人きりで5分話してください」と言われたら、あなたはまず何から話すだろうか?

僕なら、いきなり剣道を初心者で始めた話はしない。おそらく剣道のことも、初心者で始めるのが珍しいのも宇宙人にはわからないだろう。きっと僕は名乗った後、まず「人類はこういう生き物で」などの話を、相手の知識量を確認しながら紹介する。そしてその後、相手の名前と地球に来た理由をまず聞くだろう。その後も、「これから地球で何がしたい?」などの簡単な会話に留める気がする。
(これからじっくり仲良くなれるなら、趣味や仕事の話をして、その後仲が深まってきたところで互いの生態系の違いや家庭環境についても聞くかもしれないが、それには時間も手がかりもなさすぎる)

このように、まずは前提として、「宇宙人ウチュチュくんは、地球のことを何も知らない」から会話を始めようとする。そこから会話をすすめるほうが建設的な気がするからだ。(果たして、剣道を宇宙人に説明するためには、一体いくつの背景知識を伝えないといけないのだろう?)
今回のように、あまりにも共通点が見当たらなそうな場合には、こうイメージしておいたほうが一番円滑にコミュニケーションが進む可能性が高い。
だからもし仮に、
ウチュチュくんの本当の趣味が「宇宙式・ネオフットボール観戦」、
仕事が「太陽系に属する惑星の軌道を管理するシステムの保守・運用」、
特技が「50音なんでも銀河系の惑星の名前が言える」
のような、超・魅力的な引き出しやポテンシャルを持っていたとしても、僕は会話でそれを引き出せる自信はない。そのためには、あまりに手がかりがなさすぎる。

(創作。かえってわかりづらくしてしまったかな? と危惧しながら)

「ポジション」によって、人は扱われ方が変わる

話が変な方向に行きかけたので、ここでぐっと戻そう。

要点をまとめるとこうだ。

■人は相手の「ポジション」からラベルをつくる。
(金融の営業マン、異業種への挑戦者、編集者)
■そして、相手のラベルに応じた仮説の「イメージ」をつくる。
(その表出として、会話を使い分ける)
■相手の持つ「イメージ」によって、「自分がどういう人か」は決められる。
(扱われ方も、当然、大きく変わる)

このイメージの力を侮ってはいけない。
というか、ほぼこれがすべてなのだと思う。

そもそも編集者と聞くと、どんなイメージがあるだろう。
(文章を書いてそう。本を読んでそう。バクマン。動画編集etc…)

では、金融の営業マンだったら? 剣道を初心者で始めたなら? 相手が宇宙人だったら?

人はそうやって、それぞれが持つイメージを重ね合わせて、目の前の人を評価している。
手がかりをもとに仮説を立てて、相手のイメージや印象を縁取っていく。

そして、徐々に本当の「その人像」に近づいていくのだ。
これが人間の誇る、”円滑なコミュニケーション”の正体である。

ポジションは好循環・悪循環の両方の始点である

だから、レアで、すごそうなイメージのある「ポジション」にいることは、それだけで自分のイメージを上げる重要な資産になる。

希少なポジションを自分が持っていれば、それだけで、まず多くの表面的なジャッジを勝ち抜ける。
実力のいかんはともかく「詳しくないけど、スゴそう」と思ってもらえる
のだ。

これは大きい。日々出会う人の8割以上は、これだけでポジティブな印象を受けてくれるだろう。

その副次的な効果として、希少な情報を得たり、チャンスに恵まれたりする。すると実力も自然と効率よく伸びて、またさらにチャンスに恵まれる。徐々に人に恵まれる確率も上がってきて、好循環が動きだしていく。

逆に、ポジションに恵まれない人はどうだろうか。
ポジションに恵まれていないということは、少なからず、相手によくないイメージを抱かせる。「周りからの評価が低いのではないか」と不安を覚えるだろう。

花形部署のAさん。
窓際で閑職のBさん。

パッと見では、Aさんはすごくて、Bさんはすごくなさそうだ。

だからたとえ、
Aさんが実はトリプル不倫をしていて、
Bさんが実は超絶PCスキル・交渉術・トーク力を持っていても、
それをなんらかの「ポジション」で示さない限り、チャンスが来るのは、Aさんなのだ。

往々にして、実力のない人が出世して、実力ある人が割を食っているなんてことは、今日もどこかで確実に起きている。

「どの程度の実力を持っているか知ってもらえない」というのは、実力の量うんぬんの前に、これほど重要なのである。

これは事実であり、同時に「一度ポジションをつかめば、実力がなくてもなんとかなる」という大きな希望でもあるのだ。

ポジショントークが最強な理由

僕たちは、人をラベルで判断する。
繰り返すが、これからは逃れられない。

その人が誰かに選ばれて「そういうポジションにいる」ことは、半ば直接的にその人のイメージを決定づける。
(しかも、ポジションによる裁量の広さは、理不尽の多いこの世の中で、およそ実力に近いものとして捉えても差し支えないだろう)

実力のある人が「ポジション獲得」のために頑張らないと、実力のない人がうっかりポジションを獲得してしまう。
そうなってからでは、手遅れなのだ。

自分の立場、立ち位置に由来して発言を行う「ポジショントーク」は、品がないというニュアンスも併せ持つが、その原因は「最強すぎて太刀打ちができないから」だと考えて差し支えないだろう。

醜く見える出世争いも、批判されがちな資格取得も、玉の輿婚も、結局は、「誰かに認められている」点ですでに最強の「ポジション」であり、人の有利なラベリングをしてもらえる恰好の材料なのである。

実力は「ポジション獲得」のために使え

僕は、人からの評価・見られ方が2度ガラリと変わった。

正直、たかだか5年。僕も多少は変わったかもしれないが、それだけではこの変化は説明できない。
変わったのは僕というより、「僕に対するイメージ」だ。
この「僕に対するイメージ」が、3回のラベリング交換(=転職)を経て、僕に初見でつくラベルが、やっと本当の僕らしさ・僕がありたい姿に近づいてきた。
だから今、僕は楽しく頑張れている。

だからこそ、僕は伝えたい。

自己研鑽に励み、やりたいことのために努力をする僕のまわりのすべての人へ。
すべての実力を、「ポジション獲得」のために磨いて、使ってほしい。
本当の実力をつけるのは、むしろその後のほうが、成功確率も高いし、効率も良い。

何より、たとえ何者でもない自分だとしても、
「ポジション」さえ手に入れれば、今日から好循環が回り始める。

これはそういう、勇気の話だ。

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