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104尊敬する母から教えてもらったこと①【お金の使い方】自動販売機

「あなたが心から、尊敬する人は誰ですか?」

という質問がある。

超シンプルだ。
よく誰かと話していそうで、
意外と、このテーマで人と話すことは少ない。



あなたは、どのように答えるだろう。

小学校の先生。
中学校の顧問。
高校の部活の先輩。
大学の教授。
会社の上司や先輩。
祖父、祖母、父、母。
親友。
芸能人。著名人。
起業家。
サッカー選手、野球選手、その他のアスリート。
マンガの主人公や、小説の登場人物……

きっと人によって、さまざまな答えがあるはずだ。


でも、自分の尊敬する人を明かすのは、
ちょっと躊躇してしまう、という人も多いと思う。

だれかへの「尊敬」は、
感情の中でも、かなり純粋なものだ。
真面目に向き合うには少し恥ずかしい。

だからこの質問は、
半ば直接的に、

「あなたは、どういう人なの?」

と聞かれているように感じてしまう。


そんな澄み切った問いかけが、この質問には含まれている。

●数多くの人に恵まれてきたけれど

僕は、前の記事でもお話しした通り、
たくさんの人に出会い、恵まれ、やっと今生きている。
僕は少なくとも、この点では、超がつくほどの幸運の持ち主だ。

本来であれば、ひとりずつ名前を挙げて、
その人たちのどこがすごいのか、とにかく、たくさんのひとに、知ってもらいたいといつも思っている。

でももし僕が、

「じゃあ、一番は?」

と聞かれたら、その答えは決まっている。


母だ。


僕は、母に教えられたいろんなことを、「普通」だと思っていた。

でも最近、その「普通」の特異さを、じわじわ感じ始めている。
控えめに言っても、うちの母は、ちょっとスゴいのだ。


こういうことを、きちんと書いたり、残しておいたりすると、
意外と、いつか何かの役に立つ。

きっと母がこの記事を見ることはないだろう。
けれど僕は、
「書きたいから」という理由だけで、
母についての記事を、いくつか残しておくことにしたい。

●自動販売機で、飲み物を買わない。

「自動販売機って、かっこいい」

小学校までの通学路の途中に何個もある、カラフルな箱。
ジュースがたくさん入っていて、「こーひー」という大人の苦い飲み物がたくあんあって、お金を入れてボタンを押すと、ガコンッと大きい音がして、下から飲み物がでてくる。カッコいい。

値段は120円と150円。
「ボタンを押したい」という、小学生男子ならではの耐え難い欲求もある。
カッコいい。やってみたい。

もちろん、当時は自分で飲み物を買うなんて発想はない。
「お母さん、買ってくれないかな」
「ボタン押させてくれないかな」
「飲み物、下から取り出したいな」
それくらいの、ふわふわした憧れだ。


でも、母は絶対に自動販売機を使わなかった。

「西友なら、100円で売ってるのよ」

そう言った。

でも、西友で飲み物を買ってくれたかというと、そういうわけでもない。
どこに出かけるときにも、
ペットボトルに水や麦茶を入れて持って出た。

我が家には空きペットボトルが常時たくさん置いてあって、
洗って中を満たせば、それらがいつでも水筒になった。

時にはポシェット型の水筒ホルダーに入れて、
肩から下げて、持ち歩いていた。

僕は正直、ダサいから嫌だった。

家の外で買う飲み物は、実際のそれよりも、だいぶキラキラしたカッコいい、おいしそうなものに見えた。



「自動販売機だったらワクワクするし、飲み物買ったらかっこいいし、ちょっとの差くらい、別にいいじゃん」

そう思って、いつも我慢していた。


だから、そんな母が自動販売機を使ったときのことを、
僕は今でも忘れていないのだと思う。

●「ダカラ、150円。」


ある日、母と自転車に乗って、
歯医者に向かっていたときのことだ。

目的の歯医者は、家から30分の距離。
夏真っ盛りで、今ほどではないにしろ、とても暑かった。

車がサーッと走る、騒々しい片側2車線の街道。
セミは元気にミンミン鳴いているし、
アスファルトはジリジリと蒸し返して、もわっとした空気が顔にぶつかってくる。

当時の自転車は24インチで、6段変速。
ギアを一番軽い1段目に戻して、きつい坂を登っていた。

何度も通った道だったが、その日はいつもより少し体調が悪かったのだろう。
だんだん、疲れて、頭が痛くなりはじめた。

「とりあえず母に言っておこう」くらいの軽い気持ちだった。僕は信号待ちのタイミングで自転車を止め、母に、
「なんか、アタマがいたい」
と言った。

すると母は、

「あら」

と言って、突然、来た道を戻り始めた。ほんの少し。

そして、平然と目の前の自動販売機に150円を入れ、
ダカラを買い、「はい」と渡してくれたのだ。

●戸惑いを隠せない、僕。


僕は目をまんまるにして驚いた。

何度も通った道。
何度も見た、自動販売機。
少なく見積もっても、20回は通り過ぎてきた。

この、急激なあっけなさ。

まるで、いつもやっているかのような、
自然な振る舞い。

手渡されたダカラを手にしても、
僕はキャップを開けられなかった。

全然アタマが追いつかなかった。


僕は無意識のうちに、

「え、どうして?」

そんなことを言ったと思う。

「ありがとう」でもない。
「やった!」でも、「うん」でもない。「どうして?」だ。

うちは、こういう飲み物は、買ってくれない。
毎日ちょっとガマンをする、そういう鍛錬のような家。
そんな刷り込みが、すでに完成しつつあった頃だった。


僕が戸惑っているのを見ていたのか、そうでないのかは、よくわからない。

なかなかキャップを開けようとしない僕を見て、
母は何かを伝えようとするかのように、
はっきりと、明確な意志を持って、ひとことだけ僕に伝えた。

「こういうときは、いいの」

ズキズキするアタマの中に、
ほんの少しだけ、涼しい風が吹いた。

ダサいと思っていた節約。
色とりどりの自動販売機。

自転車のカゴには、
今日も水道水が入っている。


僕がお金の使い方を覚えたのは、紛れもなくこの時だった。



●「いまは、ほんとに、そういうときなの?」

それから中学生になって、高校生になって、
大学生になっても、僕はめったに「便利」を買わなくなった。

だから僕は、大人になった今でも、
自動販売機をめったに使わない。

外に出かけるときには、水のクリアボトルを持っていく。
なんなら、コンビニも、あまり使わない。

もちろん、好きなコーヒーを買ったり、
この暑すぎる夏に負けて、飲み物を買うことはある。

コンビニで友人とアイスを買ったり、
仕事が忙しくて、何か食べないといけないときにおにぎりを買ったり、
急な飲み会の前に、慌ててウコンの力を買ったりする。

でもそんなときに、
僕の無意識に、毎回、母が出てきて、こう言う。

「こういうときは、いいの?」

そしてその度に思い直す。
「今って、ほんとに、『そういうとき』だったのかな?」と。

缶コーヒーも、お酒も、ウコンの力も、
僕は買いだめして置いておく。
水は当然、持ち歩く。

単価にしたら、一日数十円。
でもこの違いはバカにならない。

もちろん、こんなライフハックはどこにでも書いてあるし、
みんな言っていることだ。
「節約」とかでググれば、一瞬。

でも、僕はその違いを、
誰よりも、深く理解している自信がある。

その自信をくれたのは、母だ。

●日常を使って、示してくれた。

このお金の使い方は、
誰かの授業を受けたり、直接的な言葉で教えられたりしたものではない。

僕の母が、
自分の行動で示してくれたことだ。

僕はこのことを忘れずに、今も鮮明に覚えている。

当時学んだはずの教科書の知識、
担任の指導、
夢中になっていたドラマやバラエティの内容は、ひとつも覚えていない。

けれど、これだけは、忘れずに残っている。


だから僕は、
ここぞというときに、お金をドカンと使う。

大人になって、年収がたくさんあるわけじゃなくても、
「そういうとき」のためのお金だけは残る。

そういうふうに、僕は育った。


(次回へ続く)

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