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いま考えていることぐだぐだと

頭の中のことをひとに話そうとすると、脳から口まではいいものの、口から外に出た瞬間からどんどん相手に届かずこぼれおちていく感覚がある。

noteにこの激情を書き連ねてバズってやろうと思ったんだけど、いざ登録してさあ書くぞとなったらもうスンと落ち着いてしまって何を書いたらいいかわからない。落ち着いて文の構成などを考える始末です。

最近ね彼氏が自殺未遂で意識が戻らないんですよ。

わたしとの別れ話の果ての話なんです。こうやって文字に起こすとどこか他人事のように見えてきて面白い。わたしがただ浸りたがっているように見えてきます。そんなつもりはないのに。自分のとっておきの不幸をとりだして慈しみ大切に味わっている悲劇のヒロインに見えてきます。他人がそれをやっていたらわたしはイラっとします。文字に起こすと他人事に見えてくるので、今も少し自分にイラっとします。これが「冷静」ということでしょう。

脳の中身をそっくりそのまま外に出したかったですがそうもいかないみたいだ。訓練したらできるようになるのかな?頭の中にいるときの思考がいちばんおもしろいな。悲しいな。「頭の中にいるときの思考」と書いたけど頭の中以外にいる思考はないか。頭の外に出した思考はいま「文字」「文章」に形を変えている。つまり思考がいちばんおもしろいのに、人と共有する術がないんだよね。共有しようとするとそれは文字だったり言葉に変換されてしまうから。なんて孤独なんでしょうね。思考を思考として人に見せることはできない。でもね彼にはね見せることができた。彼は分かってくれた。あなたは恋愛特有の都合のいい思い込みだと思うでしょう。でもわたしはそうは思わない。彼とは脳の型が似ていたみたいだ。よく「脳を共有できている」と話して笑った。思考のセックスがたのしいと、寝る時間も惜しんでしゃべりあった。

それなのにわたしが別れ話を切り出しました。あんなに楽しかったのにね。ああ。書けないよう。分かるように書けないよう。彼を誤解し誤解し、まがった見方で見たがために別れたくなり、わたしの手のひら返しで彼を追い詰めて、苦しめて、こうなりました。わたしが手をくだしたようなものです。さっきお母さんにこの話をしてしまったので、ここに書くエネルギーが残ってないみたいでうまく書けません。さっきは順序良く話せたのに。書き言葉と話し言葉とではまた違うみたいです。また、対母、というのと、対不特定多数(いや、この文章を何人が見るのか分かりませんが)というのとでわたしの言葉の選び方も変わってくるようです。

思うように書けないよう。

ほんとは身の回りのみーーーーんなに彼がこうなっちゃったびええんって言って「かわいそう」されたい。びよびよしたい。そんな状態なのににこにこしててお仕事しててえらいねってなりたいんですが、皆それぞれ自分なりのつらさを抱えてつつましく生きていることをわたしは知っているのでひけらかしたりしません。それが大人なんだと。わたしは大人でいたいです。社会に認められたいです。社会の一員でいたいです。

社会の一員でいたいから彼を切り捨てました。

書きたいと思ったのにね、もう寝たいです。眠いです。こういうとき歯磨きもせずお風呂も入らずふてくされて寝るのが一番のしあわせです。苦手な人からもらったドンキの大入りのお菓子を延々と食べてお腹もぱんぱんにしました。もう口も胃も食べたくないと言っている。唯一脳だけが食えといっている。こういう体を粗末に扱うことが何より心落ち着く。これで寝るのです。

支離滅裂で伝わらないオナニーな文章を読むのはわたしは嫌いです。読みごたえがない。ネットでそういう独りよがりな文章を見るとイラっとします。なのに自分もそういう文章をネットに垂れ流します。ごめんなさいね。

垂れ流しの恥ついでにこの文章読んだよってちょっと誰か反応してくれませんかねと承認欲求丸出しで言ってみますね。ああ。こういう人もわたしは嫌いです。つまるところわたしに似ている人が嫌いなんでしょうね。ああああ。


病んでるふりをすると落ち着きます。

全然病んでいません。

ご飯おいしく食べてます。過食気味です。すんごい寝れます。だから大丈夫。全部不安だけど大丈夫。ね。わたしが過度な心配性なだけです。この心配性が彼を追い詰めたんだよ。ごめんなさい。

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