日本史3 再び、日本が歴史から消えた古墳時代
子どもの頃は、「牛乳は嚙んで飲む」みたいなことをよく聞いたけど、令和になったら、とんと聞かなくなった、で同じみ。
どうも僕です。
子どもの頃は、意味不明なことを、よく大人たちに聞かされてた気がするけど
実は、なんも分かってないのに、僕たちに、「こういうもんだ!」と教えてきたのが、日本史という科目なのだ。
邪馬台国はどこにあるか分かんないし。
卑弥呼が、呪術を使っていたって言われてるけど、実はバリバリの実力行使で、念能力でいったら、強化系だったかもしれないし。
弥生時代に続く、古墳時代なんて、日本にも記録ないし、中国さんも記録とっててくれてないから、ほぼ予測。
唯一の救いは、今でもがっつり国内で自己主張している、あの古墳だ。
古墳と聞いて、ただのお墓と侮るなかれ。
あの古墳という馬鹿デカいお墓から得られる情報が、「あぁあそこには、お星様になった人が、眠っているだな」とだけ思ったら、大間違いだ。
そこの君。君のことだ。
あの馬鹿デカいお墓から分かるのは、この時代に、馬鹿デカいお墓があったってことだ。
もう少し詳しく話そう。
よく考えてみて。
あんな馬鹿デカいお墓。
パンピーが作れると思う?
あんだけデカいんだぜ。
スゲー偉い人がいたんだろう、きっと。
生半可な偉さじゃないぜ?
大王といっていいヤツが、あそこに眠ってるんじゃないかってこと。
そして、古墳は1つだけじゃないから。
一番有名なのは、大仙陵古墳かもしれないけど、もっとたくさん大きい古墳ってあんのよ。
つまり、大王がたくさんいた。
この大王たちが、協力関係になって、できたのが、ヤマト政権っていわれてる。
ヤマト政権が連合体って言われてるのは、古墳がいっぱいあって、その数だけ大王がいたんじゃね?っていう予測から来てるわけだ。
しかも、このヤマト政権と邪馬台国との関係も1つ問題なのよ。
ヤマト政権=邪馬台国ってことでいいのか。
邪馬台国をぶっ倒したのが、ヤマト政権なのか。
諸説あるのよ。
もう、この時代は、次から次へと「諸説あり」なのよ。
「諸説」が、わんこそば状態なのよ。
ちなみに、埴輪は、この時代のもので、古墳にお供え物として並べられてたらしい。
このミステリーすぎる古墳時代について、無口な埴輪が、何か語ってくることを、ひたすら待つしかないのである。
(´_ゝ`)
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