小坂か志子

魂の放し飼い

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無題

小学生の頃は結構な人間のクズで 給食の時に机に広げるビニールのマットが大っ嫌いだった そのマットや自前のナフキンを持っていくための小さな袋、通称給食袋も本当に大嫌いで ついでにそれをランドセルにつけて歩くのも大大大大大嫌いだった で、それらを用意するのも嫌なほど嫌いだった私は 毎回給食の時間になるとクラスで一番天使のように優しいささきかなこちゃんのところに行って 「忘れちゃったーナフキン貸して」とお願いをする するとささきかなこちゃんは何故かいつもナフキンを2枚持っているの

    • 代官山にて

      今の私には嘘のように関係がない街、代官山へ行った。 以前はなぜか夜な夜なここにいた。 休みといえばここをぶらぶらしていた。 ついでに言えば遠い昔の結婚式の二&三次会もこの街だった。 なぜあんなにもこの街にいたのだろう?最早全くわからない。 でもいつも行ってた地下のお店は驚いたことにまだあり、 いつも車を停めた駐車場もまだあった。 そんなふうにいくつか見覚えのある店があり、 いくつかのよく行ったお店がなくなり、 たくさんの全く知らない店があった。 今日の目的は蔦屋書店で扱って

      • 2016年1月5日、浅草にて

        電気ブランは「デンキブラン(¥270)」と「電気ブラン(オールド)(¥370)」とあるので「どう違うんですか?」と訊けば前者が30度、後者が40度なのだそうだ。もちろん前者に決まっとる(死ぬわ)、そして何度飲んでも美味しくない(笑)。 しかしまだ松の内なせいか同窓会のような年配の中規模団体さんや家族連れ(大家族)はたまた仕事初めの方々が早めに切り上げて新年会しているのか、2Fのレストランはそれはそれは賑わっていて、皆朗らかに楽しそうにビールジョッキやデンキブランを次々あけま

        • 娘の雑記帳から

          なんかもう、疲れちゃったね (掠れた笑い声とコップの中の氷が揺れる音が耳に届く。この言葉が本心かどうかは分かんないけど今はもう考えたくないや。目を瞑っても君のことばっかり考えちゃうから寝ても起きててもあんまり変わんないんだ。これまでにたくさん偽物がありすぎていつがホンモノなのか分からなくなった。大切なものだけ手繰り寄せて大切に抱きしめようとしたらいつの間にか全部手のひらからこぼれおちてて悔しいような、でも仕方ないや、なんて諦めの気持ちもあったりして。) 空、明るくなってき

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          6年前

          眠りに落ちる前、娘が私に抱っこされながら 「Cちゃんのこと怒ってる時も好き?」 「Cちゃんのこと一生絶対嫌いにならない?」 と尋ねるので根気よく 「怒ってる時もCちゃんのことが世界一好きだよ」 「一生絶対Cちゃんのことを嫌いにならないよ」 と答え続けていた。 「おかぁが大好きって言ってくれて嬉しいのに  どうして涙が出てきちゃうんだろう?」 と言いながら 昨晩は随分長い間ぽろぽろ涙をこぼしていた そのうち少しずつ 「Aちゃん(仲良し)ともずっと仲良しでいられる?  Aちゃんの

          女王解体

          ひとつの時代が終わる時、我々市民は何も気づくことがない それはまことしやかに彼らの間だけで取り決められること 聞け ウェントリコススの嘆き 我々の目の前に立つことはおろか 存在さえも知られることなく解(ほど)けていく時間(とき)よ 誰が夜の衣の裾を持てるのだろう 誰が花びらの数を数えるというのだろう 棺を持たぬ死出の旅に立つ時 全ての城がその門を閉ざす 通奏低音に支えられ歩む先には ただ甘やかな思い出だけが広がることだろう 見よ ウェントリコススの嘆き

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          陽が短くなったなぁ、もうこんなに暗いよ。 夏至を過ぎてから短くなり続けているのよ、もう2ヶ月以上前から短くなってる。 そっかあ、寂しいなぁ。 あなた夏生まれだものね。 君は寂しくないの?夏が終わっちゃって... うーん。  寂しい時は寂しい理由をしっかり見つめるようにしている。寂しいままでいるのが嫌だから。理由をしっかり見つめて、四方八方から眺めて、納得したら寂しくなくなる。  例えば誰かを亡くしたといった類のどうにもならない喪失が原因の時は、から元気を出さない

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           思い返せばほとんど最初の記憶である2歳の頃から寂しく不自由だった、というあてで書き始めたはずが、思い出す端から、決して華やかではないけれど精一杯祖父母に大事にされたことを感じるとは幸せであると言うほかはない。海沿いの母の実家の方がずっと自分の家に近いのだが、そちらの祖父が末期の胃癌で入院中ということもあり幼児の面倒を見る余裕はなかった。そこへ行くと四人を育て上げた経験があり元々が子供好き、何より暇だろうという理由で北関東に任されたのは当時としては自然の成り行きだったに違いな

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           水分をたっぷり含みつやつやしている、細すぎず太すぎずの冷たいうどんは茹ですぎたものだと思っていたら水沢うどんというその土地のものだった。東京ではあまり一般的でないこのうどんを思う度にあの小さなこたつ机の周囲で過ごした時間を思い出す。祖母はどこまでも静かで地味な人で、朝はいつも沸かし返した前の晩の残りのお味噌汁が出されていた。小学校の校長を務めた祖父は本当ならばそれなりに尊敬される地位のはずだったろうが、酒好きのあまり訪れる客はほとんどなく、いつも磨りガラスから入る白濁した光

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           緊急事態宣言の対象が8道県追加された夜にぼんやり考える。自分の人生今まででいつが一番自由だったろう。  一番古い記憶が3歳頃...3つ違いの弟の誕生日ケーキが最初の記憶だとすれば。白いクリームケーキの側面にはスライスアマンドがはりめぐらされていた。ぼんやり灯された蝋燭は1本だったか。1歳児がアマンドを食べることができたのか。缶詰の黄桃のてりがほんのり蘇る。  近所の小店で店頭のガムを食べて咎められた方が先の記憶かもしれない。一つ一つ銀色の紙で包まれたキューブ状のガムは、