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ランドセルの色に、これからの男の子と女の子の生きやすさを想う

女の子のランドセルはいろとりどり
男の子って意外に黒が多い

これが女性の方が自由な証だとか男性の方が不自由だとまでは思えない
でも女性の生きづらさが多く発信されて、変化の兆しがあるのは確かだと思う

これがなぜかというと、【当事者である女性が】【将来を生きる女性のために】いろいろとこれまでに発信したからだと思う
これはすごく勇気のあること

もちろん反対意見だってたくさんあって、女性の意見が一つになっているわけでは決してない
職業観・育ってきた環境・生まれた世代によってありとあらゆる面がある

それでもたしかに、ここ十数年で女性を取り巻く環境は女性の発信によって変化してきた

男性の生きづらさはどうだろう
なぜかあまり変化が見られないような気がする

女が、男が、というのは偏った喋り方であると自覚してこの文章を書いている

「日本では伝統的に、原理としての父性はとても弱かった。原理としての父性と、父親が怖いというのとはべつの話で、日本の父親はいばってはいたけれど、父性原理はずっと弱いものでした。 
たとえて言うならば、「突撃!」と号令がかかったときに、まっ先に突撃して死ぬのがもっとも強い父性だと思われていました。しかし、そういうときに「どうして突撃しなければならないのか」と問いただすのが、ほんとうの父性なのです。日本では、「なぜわれわれは命令に服すべきなのか」とか、そういうことは誰も言ってきませんでした。」

(中略)

 「ほんとうに強い父親というのは、子どもに対して、「世間がどうであれ、自分の道を歩め。おまえのことはおれが守る」ということでなければならないのに、日本の父親は、「世間の笑いものにならないように」などと、世間の代弁者になってしまっています。」

—『父親の力 母親の力 「イエ」を出て「家」に帰る (講談社+α新書)』河合隼雄著

これを読んでハッとした

日本のステレオタイプな男性像は大変に会社組織を大事にし、滞りなく組織の目的のために動く印象がある

これって母性的だったのだ

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