![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139600889/rectangle_large_type_2_be257698d096d31f03bc58f315bc9fd2.png?width=800)
【豊田市民芸館レポート】「美しき手仕事 -新収蔵品を中心に-」
豊田市博物館が4/26にオープンし、ゴールデンウィークで訪れたお近くの方も多かったのではないだろうか。かくいう私も3度ほど訪問したので、博物館については別途レポートしたいと思う。
今回は、博物館ではなく、最近訪れた豊田市民芸館の企画展をレポートしよう。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139413900/picture_pc_7bce48f367ccc8cbe4e05610427f01d3.jpg?width=800)
民藝〜ポイエーシス
民藝といえば民藝運動の父、柳宗悦。
柳宗悦の書籍「茶と美」は、読んでいて思わず唸る内容が満載だったことを思い出す。
柳宗悦が残した自身の思想を短い言葉で綴った心偈(こころうた)72首の一つが民芸館の近くに石碑として設置されている。
「見テ 知リソ 知リテ ナ見ソ」と彫られている。まずは直観で物を見て、その後概念で整理すれば良いという意味だ。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139413934/picture_pc_37de7e0ba142be94dc78b2e20c190211.jpg?width=800)
今回の企画展は「美しき手仕事」。チラシには柳宗悦の著書「手仕事の日本」からの一説が紹介されている。
手はただ動くのではなく、いつも奥に心が控えていて、これがものを創らせたり、働きに悦びを与えたり、また道徳を守らせたりする。
ここで、「野生の思考」、構造主義の提唱者レヴィ=ストロースが考察した労働概念の話を思い出す。日本好きとしても知られるレヴィ=ストロースは、日本の職人仕事に興味を持ち、労働の概念を考察している。
レヴィ=ストロースはフランスの哲学者、フランス語の労働はtravailで労苦の意味合いが強いという。それに比べて、日本の職人の労働感に違うものを感じたようだ。ギリシャ哲学に遡り、2つの労働概念に突き当たる。
古代ギリシャの2つの労働概念
プラクシス:行為する人間が自分自身の目的のために事物を使用する。
ポイエーシス:ある物を自分の目的にために変形して使うのではなくてその物の中にすでに存在する形を外に取り出す。
レヴィ=ストロースは、日本の職人の仕事にポイエーシスの要素を見出していた。ポイエーシスは、民藝につながる概念といえる。
私は、「はたらく」ということを日本人がどのように考えているかについて、貴重な教示を得ました。それは西洋式の、生命のない物質への人間のはたらきかけではなく、人間と自然のあいだにある親密な関係の具体化だということです。
さて、そんなことを思い出した今回の企画展。
写真で振り返ってみる。
![](https://assets.st-note.com/img/1714745421764-n8DxiGJxwm.png?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1714745433695-Ba1Y8PYjyO.png?width=800)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139413897/picture_pc_d0d286f8076a2b7b30d994990874d49b.jpg?width=800)
展示室1 熊祭りIYOMANTE
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139413903/picture_pc_ba33c889aabb40a551fbd5366750c873.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139413907/picture_pc_49cf9f43135b414bf4b32892d7f99eed.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139413908/picture_pc_3e1bec10fd36e606fa30650a17bed91c.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139413909/picture_pc_875c15c5a9941a11494c35869d0247cd.jpg?width=800)
アイヌの熊祭り(IYOMANTE)の型絵染
カムイを送る大切な儀礼であったことが感じられる。
日本ではアイヌの熊祭〈イオマンテ(イヨマンテとも呼ぶ)〉が有名である。これは熊狩りで生け捕られた子熊を一定期間飼育したのち,おおぜいの親族知己を招いて神の国へ〈それを送る(アイヌ語でイ・オマンテ)〉祭礼である。イオマンテはアイヌ文化の核心をなす重要な行事であるため,近年にもときおり挙行されることがあり,映像にも収録されている。アイヌはまた猟でしとめた熊に対しても略式の〈送り(オプニレ)〉を行ったことが知られており,日本の狩猟集団マタギもやはりオプニレ型の熊祭を残している。
ところで世界各地の熊祭の事例を比較してみると,オプニレ型が汎北半球的広がりを示すのに対して,飼育した子熊を送るというオマンテ型は北海道,サハリン(樺太),アムール流域(アイヌ,ニブヒ,ウイルタ,オロチ,ウリチ)にしか認めることができない。したがって,北東アジアのこの一角ではなんらかの歴史的経緯からオプニレ型よりオマンテ型への展開が生じたものと推察される。そこに動物飼育文化の影響を見る者もいるが,安定した漁労活動に支えられた比較的高い定住性こそが飼料をはじめとする熊の飼育のために必要な諸条件を整えたという意見も聞かれる。
展示室1そのほか
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139413912/picture_pc_a2e76684185dd7f46930d566f3b0342c.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139413913/picture_pc_d942830104b75470abf5db4d540aade0.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139413914/picture_pc_54fd58f95a9e5bbb376c6e93a8a40c9d.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139413915/picture_pc_40b5044402f64e10afb4cd493e63403b.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139413921/picture_pc_3ab910d9fb12ccd7d82cd2ca95576e43.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139413920/picture_pc_363f1a31b265f9a8c7d83cd9b76510d8.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139413925/picture_pc_46dbbb3edcd70eec83ea94a083412f69.jpg?width=800)
日本民藝館より移築したホールと柳の元館長室
ホールの照明のデザインは柳によるものだとか。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139413922/picture_pc_c19e9acd46fe69b3d1600305c9ef3b49.jpg?width=800)
展示室2 アイヌ衣装
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139413926/picture_pc_eb65201356070e33fe27cc5f49d15f88.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139413927/picture_pc_2b4817f464d4bc7876bf05f0d036d50d.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139414389/picture_pc_2b20f33cbc02d0d791849b995d2a9cba.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139414391/picture_pc_fddccdede8682712ab52d275ca2c4317.jpg?width=800)
第二民芸館のアイヌ衣装はインパクト大。
じっとみていると、デザインがフクロウに見えてきた。
カムイであるシマフクロウをデザインにしているように感じる。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139413932/picture_pc_aefdcaef97715ffbd4e157a270498078.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139413933/picture_pc_ce3a286a5eb95454327a09a476265ca2.jpg?width=800)
アイヌ神謡集
アイヌについて俄然興味が湧いたので、書籍の紹介。
知里幸恵さんのアイヌ神謡集。
アイヌを調査していた言語学者の金田一京助に見出された、知里幸恵。
アイヌの同化政策が推し進められる中で、書かれた一冊だ。
アイヌ民族は、日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族だが、
アイヌとは人間という意味。アイヌコロ(アイヌを持つ)という言葉は尊敬するという意味を持つ。
アイヌという言葉に何一つ悪い意味はない。にもかかわらず、アイヌと呼ばれることを恐れ悲しい思いを抱きながら書いたアイヌ神謡集。
東京の金田一京助の自宅に滞在して書かれたこの本だが、19歳の知里幸恵は、体が弱く原稿の構成を終えた日に亡くなったという。
アイヌの口伝伝承されてきた物語をアイヌ語と日本語対訳という形で記している。13篇の神謡集となっている。
アイヌ神謡集で特に好きな話は、「銀の滴降る降るまわりに」だ。
カムイであるシマフクロウの視点で話が進む美しい話だ。
カムイとは神と訳されたりするが、アイヌ独特の世界観が感じられる。
カムイと呼ばれるものを挙げると、
動物、鳥、木、草、火、水、かみなり、に加えて人間が作る家や舟もカムイと呼ばれる。
その基本的な考えは、ものは全て魂を持っていて、その中で意思を持って人間と同じような精神を持ったものがカムイと呼ばれるようだ。
総じてカムイは自然や環境と言い換えることができる。
「銀の滴降る降るまわりに」で特に好きな場面は、
フクロウを捕らえようと、昔お金持ちで貧乏人になった家の子供が放った木の矢が、「美しく」弧を描いて飛んでいき、その矢をフクロウが「手を差し伸べて」矢に当たるという場面。
捕えられる側のフクロウの意思で当たっているという視点が面白い。
矢に当たったフクロウの意識は肉体としての死後も働いていて、その後もカムイの意識の働きかけがある物語性もアイヌの世界観を感じることができる。
人間がカムイにお供え物をすることで、カムイの世界でカムイたちが喜んでいるという場面もいい。
そして、カムイが人間の国を見守っている。
とても美しい世界観で、自然と共生していたアイヌの生活や世界観に魅かれるものを感じる。
銀の滴降る降るまわりに
「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」という歌をうたいながら人間の村を見下ろすと、昔の貧乏人がお金持ちになり、昔のお金持ちが貧乏人になっていた。
海辺で子供たちが弓矢で遊んでいた。子供たちは私を見ると競って射当てようとした。私はお金持ちの子が放った矢をかわしたが、貧乏で虐められていた子を不憫に思って、その子の矢を手を差し伸べて取った。
舞い降りた私を、貧乏人の子は第一の窓から家に迎え入れた。老夫婦は「貧しく粗末な家にお越しいただき有難うございます。大神様を御泊めすることは恐れ多い事ですが、日も暮れましたのでお泊り頂き、明日はイナウだけてもご用意しましょう」と申しながら何度も私に礼拝した。
家族が寝入ると、耳と耳の間に坐っていた私は起き上がり「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」という歌をうたいながら、家の中を宝で満たし、家を大きく立派に造り変えた。そして家族に夢を見せて「不憫に思ったので、この家に泊って恵んでやった」と伝えた。夜が明けると老夫婦はとても驚いて声をあげて泣き、老人は私のところに来て繰り返し礼拝した。
老人は酒を用意し、村人たちを酒宴に招待した。村人たちは貧乏な家族を馬鹿にしてやろうとやってきたが、家を見て驚いた。主人は村人たちを家に招き入れてわけを話し、「こうしてお恵みを頂いたから、これからは村人皆で仲良く交流したい」と述べた。村人たちは老人に今までの無礼を謝し、そして私にも礼拝した。
それから酒宴が始まり、私は家の神々と話をしながら人間の舞いを眺めて楽しんだ。酒宴が終わると、人間たちが仲良くしているのを見て、私は安心して神の国へ帰った。
私が家に帰ると、私の家は捧げ物で満たされていた。私は神々を招待して酒宴をひらいた。神々に人間の村を訪問した時の話をすると、神々は私の事を誉め讃えた。人間の村を見るとみんな仲良くしており、主人は村の頭になり子供は親孝行をしている。酒を造ったときは、いつも私にイナウと酒を送ってくる。私も人間たちの後で、人間の国を護っています。
と、ふくろうの神様が物語りました。
日本は歴史上単一民族であったことはないだろう。にも関わらず、その認識はあまりされていないのが現状ではないだろうか。
ひとつは、定義上は単一民族国家と見なされることも一因かもしれない。
OECD(経済協力開発 機構)の定義では、特定の民族のみで95%の人口を占める国を単一民族国家と定義しているので、 大和民族が96%以上を占めている日本は定義を満たしている国とは言える。
しかし、人口としては少数であれ、アイヌ民族や琉球民族が存在し、そこに辛い歴史があったことも忘れてはならない。
近年アイヌ音楽が見直されたり、漫画ゴールデンカムイが人気になったり、少しずつ知る機会も増えてきた。
知里幸恵が望んだアイヌがアイヌとして存在できる世の中が少しずつ訪れているのかもしれない。
〜参考100分de名著アイヌ神謡集【指南役】中川裕(千葉大学名誉教授)言語学者〜
最後までお読みいただきありがとうございました。
イライヤイケレー(アイヌ語でありがとう)
その他レポートもどうぞ。
よろしければサポートお願いいたします!