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(試行版)ぼくらは、それを見逃さない。③さまよう「ヴィラ風の音」~大西健丞氏と妹の事業がNPOに衣替え

 その日の午後、因島・土生港(広島県尾道市)を出て、豊島港(愛媛県上島町)に到着した旅客船「ニューうおしま」から降りたのは私を含めて3人だけでした。

 香川県の豊島(てしま)ではなく、愛媛県の豊島(とよしま)です。

 無人島ですが、放し飼いの犬が1匹、桟橋の通路に立ち塞がっていました。

 犬は嫌いではありません。愛護団体のシェルターで、数十頭の保護犬に囲まれて取材をしたこともあります。しかし、ノーリードで飼い主がそばにいない犬は苦手です。恐るおそる前を通り抜けて上陸しました。

 訪問の目的は、NPO法人ピースウィンズ・ジャパン(PWJ、広島県神石高原町、大西健丞代表理事)が運営に関わる2つの施設、リヒターのガラス作品展示館と豊島ゲストハウスを見ることでした。

 豊島ゲストハウスは桟橋前の岩場の上に建っていました。しゃれた洋風の一軒家もあります。ゲストハウスの管理棟でしょうか。犬もその庭からやってきたようです。

 リヒター作品の展示館もその裏山の竹林にありました。リヒター作品の一般公開は終了し、観光客の姿はありません。ゲストハウスにも宿泊者はいないようでした。

 ゲストハウスはPWJの別動隊、NPO法人瀬戸内アートプラットフォーム(SAPF、神石高原町、大西健丞理事長)が運営する高級宿泊施設です。ふるさと納税の寄付金をもとにした交付金などが運営財源で、50万円以上の高額納税者をペアで招待しています。

「ヴィラ風の音(おと)」

 ゲストハウスに向かう階段の入り口の看板には、そう書いてありました。私が現地で確かめたかったのは、これです。

 PWJ/SAPFが運営する豊島ゲストハウスは、もとは大西健丞氏とその妹が経営にかかわっていた会社が経営していた「ヴィラ風の音」だったのです。

 大西氏の著書「世界が、それを許さない。」(2017年、岩波書店)には、「ヴィラ風の音」の開業経緯が書かれています。

 それによると、知り合いに誘われて広島県福山市に住み、鞆の浦の景観保存問題に偶然関わることになったのを契機に、大西氏は観光をどのようにして産業として瀬戸内海圏に根付かせるか、を考えるようになりました。

 NPOのPWJでそうしたビジネスを展開するには制約が大きいと考えた大西氏は2005年2月、出身地の大阪から妹の由起氏を福山市鞆の浦に呼び寄せ、「風の音舎」を設立しました。設立時は有限会社、のちに株式会社となります。

 会社はイラン絨毯や瀬戸内の海産物販売、クルーザーによる観光サービスに続けて、2007年に愛媛県上島町の豊島に「ヴィラ風の音」を開業しました。

 大西氏はヴィラで自身の結婚披露パーティーも開いたと書いています。

 愛媛県漁連のサイトを見ると、純子夫人は結婚前から上島町に住んで「真珠の似合う女性」ミズ・オンドアールにも選ばれていたようです。

http://www.ehimegyoren.or.jp/shinjyu/event/kako/miz2007tosen.html

 ヴィラ開業当初には支配人も務めました。動物愛護の世界でいろいろと物議を醸すピースワンコを立ち上げたのもこの方です。とても活発な女性ですね。

 インターネットの旅行情報サイトで調べてみると、「ヴィラ風の音」には宿泊施設として定員4名の棟が1つ、定員2名の棟が3つあり、2007年4月に仮オープン、同年7月から本格的な営業を始めました。1泊2食・送迎付き(鞆の浦~豊島間)で5万8900円(2007年9月末まで)だったようです。

 ヴィラの建築費は不明です。

 しかし、設立時1200万円だった風の音舎の資本金は2007年8月時点で2億5千万円になっています。その動きからすると、ヴィラ開業のために2億~3億円相当のお金を投じたのではないかと思います。

 それがどうして、NPOの事業になってしまったのでしょう?


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