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仮説を立てて挑み、誇りをもって生きる~霜里農場経営者金子美登さん逝去

 9月27日午後、池袋から東武東上線急行電車に乗って埼玉県小川町へ行きました。24日に亡くなられた霜里農場経営者、金子美登(よしのり)さんのお通夜に参列するためです。

 有機農業の里として小川町下里(しもざと)地区を国際的にも有名にし、2010年に日本農林水産祭むらづくり部門で天皇杯を受賞。町議会議員も長く務め、地域のために生きる篤農家でした。金子さんが農場で育てた弟子たちは全国で活躍しています。

 金子さんのそばにはいつも妻・友子さんの姿がありました。その友子さんの「お礼の言葉」から。

 「五百万の農家がいた五十年前、一つの農家が単純計算で四家庭分の作物をまかなえるようにすれば日本は自給出来る、という仮説を元に夫・美登は有機農業を始めました」

 「小さな自給区からスタートし、循環型農業を追求してきました。自然エネルギーを取り入れること、地場産業の普及を目指して地域と共に発展すること、そして、次世代の担い手を育てることを柱に夫婦で歩んで参りました」

 「全国に巣立ち、根を下ろした有機農業者は百五十名にのぼります。未来を見つめる農場としての「種蒔き」が、全国に引き継がれ、花を咲かせ、着実に実を結んでいることが私たち夫婦の大きな喜びであり、誇りです」

 享年74歳。やりたいことはやり尽くしたというような穏やかな表情でした。合掌

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