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暇な大学生の「睡眠は短い死である」

(このエッセイは、1年半ほど前の自粛期間に書いたもので現在書いたものではないのですが、
当時の気持ちの記録として投稿をします。
こんなに陰鬱としていたんですねえ、私。)


睡眠は短い死であるとよく言う。
コロナ自粛に伴いそれを痛感している。

友人とLINEをしていて共通の感覚が「毎日がつまらない」「将来へのぼんやりとした不安」。バイトもない。遊びにもいけない。そもそもそんな金ももうない。将来は大金持ちになってやると思っても就職さえも危うい。気晴らしのゼミもない。授業もない。こうもなるとあれほどいらないと罵っていた教授のつまらん話さえも恋しくなってくる。あやつはヘビースモーカーであったがはたして生きているのだろうか。

何でもないようなことをして怠惰にすごし、風呂に入り、眠る。そして同じような日々を繰り返す。眠るのが好きと自他公認だあった私でさえ眠りにも飽きた。

眠りと言うのは好きなことをして夜まで遊びまくって楽しい気持ちで死んだように眠ると、枕はふわふわ布団はぬくぬくで誠に至高である。一方、虚無のまま死んだように眠ると何だか布団も重く感じられ指先は冷えるような心地で、本当に死んだような気持ちになる。眠るのは好きだがやはり幸せな気持ちで眠りたいと思った。

ああ、それは死ととても似ている。

こんな陰鬱で退屈な気持ちのまま死にたくはない。死ぬときはハッピーでぬくぬくで幸せいっぱいで死にたい。そんなの誰もがそうだろう。


睡眠は短い死なのだと思った。

そうすると1日というのは小さな人生であろう。

そう思いながら私は陰鬱な小さな人生を閉じた。

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