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【100分de名著】プラトン『饗宴』メモ書き


飲み会で集まった6人の人物による愛(エロース)とは何かという談義。

ソクラテスと発言により、話は思いもよらぬ方向に進んでゆく。

愛とは無知と知の間にあるものであり、
無知を自覚する故に知を求める。
持っていない物を求める性質そのものが愛とも言える。

さらに愛とは不死を求める心にもつながってきて、
それが肉体、もしくは”魂の出産”という形で成就する。
つまり、心の琴線に触れる美しい人、物、言葉などに出会い、それを昇華して新たな物を生み出すことはそれ自体が愛を生み出すこととなる。

また美には4段階あり、
1段目に肉体の美、いろんな他者の美しさに気づけること、2段目、魂の美、心の美しさに気づけること、3段目、知識の美、一生かかっても触れきれない大海原のような知識の魅力に気付けること、そして4段目が美そのもの。

美のイデア(本質)と呼ばれるそれは、
魂の出産を促す美しいものの中に含まれてはいるけれど、完全な姿は見せてくれない。

人が生活の中で触れる美しいものは”徳の影”であり、
美の本質を見ることができた場合のみ真実の徳を生み出すことができる。

影という考えはプラトンの著作『国家』にも書かれており、
”基本人間というものは洞窟の奥の壁側向きに囚われており、その壁に映される影の人形劇を観せられて生きているような存在である。
とあるきっかけで囚われの身から抜け出した1人の人間が本質(イデア)である外の世界を見ることができ、他の囚われた者にそれを享受しようと試みても、自分の経験してきた世界線とあまりにもかけ離れたことを言われて信じる者など誰もいない。社会不適合者、危険人物扱いで終わるだけだ。”
というようなことが書かれているらしい。

見えている世界が見せられているものだと暴くことはいまでもタブーだし、やり方を間違えれば暴動さえ起こしかねない劇薬だ。

自らの命をとしても、真実の追求を諦めなかったソクラテスに対する鎮魂歌がプラトンの饗宴だったのかもしれない。


感想
なぜ美を求めるのか。
私にとって美とときめきであり、面白い、楽しい、可愛い、いろんな種類のときめきがあるけれど、ようは私にとってのイデアの欠片がそこにあるから、その気持ちが発現するのだと思った。
日常に潜む違和感=ときめきを集めていけば、イデアに出会えるのではという期待があるから、今日も本を読み、映画を観て、ラジオを聴く。
人それぞれそれ方法は違うけれど、面白いことを求める本質の所にはこの本能が隠されているんじゃないかな。

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