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『輪るピングドラム上中下』読書感想


アニメの方が良いが、小説でもちょちょぎれるぐらいの涙は出る。
アニメのラストシーンでは、幼少期の姿で出てきた冠葉と晶馬についての解釈で旦那と意見が分かれた
(旦那は生まれ変わった冠葉たちがまた陽毬たちと交流し人間関係を築いていくという前向きな解釈、
私は冠葉たちは陽毬と苹果を生かすため犠牲になり、まどマギのまどかのように概念の世界から陽毬たちを覗く存在となったという解釈)が、
小説では、どちらかと言えば、私の解釈と近い、けれど前向きな感じに収まっていた。
簡単に言うと、
銀河鉄道の乗車客たちは自己犠牲により手に入れた林檎(愛)を手に、瞬く間に終わるこの世の生に囚われることなく走り続ける、そこには本当の幸せが待っている‥
というような感じ。
分け与えることで朽ち果てることを幸福と捉える痛々しく純真な賢治イズムを感じた。
私はアニメ版を見た時、冠葉と晶馬が陽毬たちの世界からいなくなってしまった犠牲の悲しみに号泣してしまったけれど、それよりずっと深く遠いところに答えがあったのだと、小説版を読んで知ることができた。
客観的に見た自己犠牲はかなしいけれど、自らが犠牲になる本人に成り変わったとき、それは幸福と繋がっていく。
人が犠牲になるのは悲しいが、自分の犠牲はそれほどでもないのは、生と死の問題において、より顕著だ。
死なない程度の自己犠牲はその後ずる賢い奴の食い物にされるリスクがあるが、死んで仕舞えばそんなものはないのだから。
賢治イズムにはそんな計算高いことは含まれないのだろうけど、自分としては、アニメ版のときよりほんの少しだけ作品に対する理解を深められたように思う。


 

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