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こちらは連載小説「僕はある冬の日、珈琲を捨てた。」の2話目になります。
1話目はこちら。↓



(あれ…)

息の切れる感覚が僕を襲う

(僕はなんで、走っているんだろう…)

脳まで酸素が回らない

(あれ…)

心拍数が鼓膜まで響いてくる

(卒業式、いつ終わったんだろう…)

僕は走っていた。
ただひたすらに走っていた。
体育の授業でだってこんなに全力を出したことはない。

つまり

今の僕はそれくらい必死で、全力で、真剣だということだ。

「――――た、ただいまッ!!」

帰宅した僕は走ってきた勢いで玄関のドアを開け、そして全力で声を出す。返ってきたのは静寂
当たり前だ、両親は僕の卒業式を見に行ったのだから

そう

「あ、そっか…」

目的の人物は、先程まで自分がいた学校にまだいるのだ。
途端に緊張感から解かれ、膝から崩れ落ちる。
まだ乱れている呼吸を、ゆっくり整える。
そして、頭の中を整理する。

(僕は何のために走っていたんだっけ)

答えはすぐに出てきた。
明確に、熱量を持って、激しく主張してくる。

僕のやりたいこと


「――ちょっと、あんたそんなところで何してるの?」

その声に振り返れば、少し後ろに母さんと父さんが立っていた。
未だに玄関で座り続ける僕に不思議そうな目を向けている。

目じりと鼻先は真っ赤だ。

「あ…、お、おかえり」

僕は声を詰まらせながら言うと、二人は揃って

「ただいま」

と言う。

「なんかあったの?いつの間にか帰っっちゃってるし、かと思えばそんなところで座ってるし……」
「いや、なんでもない。父さんと母さんを待ってた」

2人はなおさら、不思議そうな顔をする。

「お願いがある――」

僕がそこまで言って、父さんが遮る。

「まぁまぁ、まずは中に入ろう」
「それもそうね、ほら湊も、中に入りなさい」
「う、うん…」

折角言おうとした言葉を止められ、さてどうしたものかと悩みながら返事をすると、父さんが続けた。

「話があるんだろう?続きは中に入ってから、ちゃんと聞いてあげるから」

その目は、その言葉は優しさに満ちていた。
まるで僕がこれから言うことを知っているかのように、まるでこれから起きることが予想できているかのように、父さんは優しく、笑っている。
その言葉に妙な安心感とより一層の覚悟を決め、僕は家に入る。

玄関で靴を脱ぎ、向きを揃える。
僕は洗面台に向かい手洗いとうがいを済ませて、2階の自室で着替えを済ませる。
僕の習慣だ。これをやらないと母さんがうるさいんだ。

1階のリビングに入ると、2人はもう既に椅子に着き、僕のことを待っていた。

「――――母さん、父さん」

僕は真剣な面持ちで、話しかける。

「なぁに?」

僕は一度大きく息を吸い

「卒業祝いに、買ってほしいものがあるんだ」

そう言った。

「湊が物を欲しがるなんて、珍しい」

母さんは驚きつつも、ちょっと拍子抜けと言った顔をする。

(ごめん母さん、それだけじゃないんだ……。)

僕は心の中で謝り、また口を開く。
緊張しているのか、口の中は酷く乾いている。

「それと、高校を卒業したら東京に行く」

数秒の間

「……え?」

返ってきたのは素っ頓狂な返事だ。
先程の数倍、目は見開かれている。

「ギターを買ってほしいんだ。それで僕は高校を卒業したら東京に出て、歌手を目指す。見つけたんだ、やりたいこと」

ちゃんと喋れただろうか。
思ったより早口になってしまった気がする。
2人は何も言わない。
母さんは瞬きを繰り返し、父さんは静かに目を瞑っている。

たまらず涎を飲み込む。

沈黙が長い

「――――湊」

口を開いたのは父さんだ。
先程の穏やかな顔は見る影もない、今は真剣な面持ちで僕をじっと見つめる。
それに応えるかのように、僕も父さんを見つめる。
次の言葉を待つ。

「父さんや母さんが、どういう気持ちで湊を学校に通わせていたかわかっているか?」
「もちろんいい大学に入って、いい会社に就職した方が将来的に安定してるのはわかってる。そのために父さんや母さんが必死に働いて、学費を払ってくれているのも、それくらい僕のことを思ってくれているのもわかってる」

僕は食い気味に返し、更に続ける。

「感謝してるよ、本当に。ありがとう。でも見つけちゃったんだ、やりたいと思っちゃったんだ。」

次に口を開いたのは母さん

「生きていくのって、そんなに単純でも、楽でもないのよ」

父さんと母さんはすごく優しい人だ。
いつも優しく、僕の味方でいてくれた。
喧嘩なんてほとんどしたことが無い、仲の良い家族だと思っている。

でも、やっぱり駄目だったか――

2人の眼差しに、僕は心が折れそうになる。
やっぱりこんなこと――――

「一つのことに、目の前の楽しさに目を奪われていると、いつか痛い目を見る。選択肢はいつも複数持っている必要があるんだ。それは理解できるか?」
「……うん」
「そういえば通知表をまだ見せてもらってなかったな、持ってきなさい」
「い、今じゃなくても……」
「持ってきなさい」

有無を言わさない言葉に、僕は仕方なく自室に置いた鞄の中から、今日学校でもらった最後の通知表を取り出す。
リビングに戻りそれを2人に渡せば、黙って開いた。

教科は全部で9つ。
各教科ごとに4つから5つの評価項目があり、上からA゜、A、B゜、B、C゜、Cとつけられる。
そのアルファベットを基準に、各教科の総評価が決まる。
上から5、4、3、2、1だ。
よく聞く「オール5」が一番良い成績になるわけなんだけど、僕はそれよりちょっと低い5が6つに4が2つ、3が1つ。

「3は無くしなさい、4は1つまで」

父さんは一通り評価を見た後、そう言った。

「う、うん……?」
「高校はアルバイトを許可しているのか?」
「た、確か、許可制だけど……」

最初、父さんが何故そんなことを聞いてくるのかわからなかった。
でも母さんは意味を察したのか、少し焦ったような声で父さんを止める姿勢になる。

「ちょっとあなた……」
「大丈夫だよ」

父さんは母さんの手を握り、そう言った。
そして

「がむしゃらにやったって、夢は叶わない。だからしっかりと計画を立てなさい。これからの3年間を無駄にしないように、その後の湊の将来を考えて」

僕は理解する。

「夢も勉学も疎かにするようであれば、この話はなかったことにするからね」

頑張りなさい

最後の言葉に、僕は思わず泣きそうになる。
母さんも諦めたのか、優しく笑ってくれる。

認めてくれたのだ。
僕は勢いよく立ち上がると、全速力で自室に戻る。
乱雑に積まれた教科書やノートの山から一枚の紙を引っ張り出し、机に転がるペンを持つ。

何も言わずにリビングを出ていった息子の姿に驚きを隠せない2人だが、次の瞬間には笑いが家族を包んだ。

「――男に二言はないから」

湊は自室からまたリビングに戻ると、2人に先程の紙を突き付ける。
そこには何とも汚い字で、「誓約書」と書いてあった。
それは誓約書、男の約束、湊の覚悟。

誓約書

私、晴夏湊は高校3年間で下記の項目を必ず守るとここに誓います。

・成績は4が1つまで
・アルバイトをして、卒業後の資金を貯金
・夢だけに目を奪われず、将来の選択肢を確保する

またこれらすべてが守られ、認められた場合は東京に行き歌手を目指します。

以上



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