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自由に歌いませう

あなたの前には5人の被験者がいます。
「この5人の中から”本当に歌が上手い人”を選出するテストをしてください」
と指示された場合、あなたはどんな試験をしますか?

本当の歌唱力。そんな文言を聞いたら眉をひそめたくなると思います。なんか怪しいボイトレに勧誘されそう。大自然について語りだしそう。

おはようございます。kasbeeと申します。歌を趣味のひとつにするVRChatterです。
ふと文章を作りたくなったので、自分語りを交えつつカラオケ、もとい歌についての意見を書いてみようと思います。結論、「もっと自由に歌おうぜ!」と言いたいです。

現代において歌はとても身近です。カラオケに行けばうまぴょい伝説から般若心経まで、実に様々な歌を伴奏に合わせてマイクを使って歌うことができます。どんな大声でも基本怒られません。

さて、歌が身近なら当然歌唱力なんていう概念も身近です。カラオケが苦手な人は多いでしょう。その気持ちはよくわかります。みんな自分の好きな歌を好きに歌って盛り上がる場のはずなのに、知らず知らずのうちに上手さ下手さを測られている。自分が歌ったら盛り下がるのは必至なのに、マイクを握らないと空気が悪くなる……どう足掻いても絶望。それで歌うこと自体を嫌いになる人がいても納得です。

一方私はというと、カラオケは好きでした。声の音域こそ狭くはありましたが、ある程度のリズムと音程はとれていたので、採点しても80点後半をうろうろする感じで、どちらかというと「楽しめている側」だったんだなあと感じます。お世辞が半分くらい入った「歌上手いね」 を言われるくらいです。でもある日、別モノに出会ったんです。

その人が歌い出した瞬間、デンモクを落としそうになりました。空気がガラリと変わり、皆その人から目を離せなくなりました。なんか一人だけ違う事をやっている。歌詞が心に響く。部屋がビンビンと鳴る。

さて、その人が歌い終わった時、拍手喝采になったでしょうか。「上手い!」と絶賛の嵐だったでしょうか。実際は違いました。皆呆然として、沈黙してしまったんです。歌った本人もあまり楽しそうではなく、気まずそうでした。

高校1年生くらいだったでしょうか。その日の感覚は忘れないようにしています。下手ではないけど何か足りない……と悩んでいた自分には転機でした。それからの練習だなんだとかは文の趣旨から外れるので割愛します。

カラオケはどんな商売でしょうか。防音環境が最悪な日本では普段大声で歌えないから、普段聞いてる歌を皆で思い切り歌ってストレス発散しましょう!そんな感じだと思います。つまりお客さんには気持ちよくなってもらってナンボです。カラオケ機器、カラオケの部屋というのは、普段大声を出し慣れていない人が気持ちよくなれるようチューニングされている側面があるんです。

「カラオケで気持ちよくなってるな」なんて言うつもりはありません。歌=カラオケだと視野が狭くなってもったいないよ。と言いたいんです。歌う環境なんて数えきれません。具体例をあげます。

・オーケストラの演奏の中で、マイク無しでプロセニアム・アーチから1番後ろの観客まで声を届ける
・イヤモニをつけてワイヤレスマイクを握ってPAを通してアリーナで歌う
・ヘッドホンをつけて4畳のボーカルブースで固定されたマイクに向かって歌う
・アコギを抱えて駅前で歌う
・膝枕をしながら、寝かしつけるように子守唄を歌う
・泥酔して住宅街の真ん中で歌う

最後のはともかく、歌い手がいて、聴き手がいる環境はぱっと思いつくだけでこれだけあります。
それぞれの環境で「歌が上手い人」が存在します。もしかしたら、あなたの親は日本一子守唄が上手い人だったかもしれませんよ?

おそらく私がカラオケを共にした人は、「ライブ会場で観客に想いを届けるのが上手い人」だったのでしょう。なのでカラオケという場では若干浮くし、本人もあまり楽しくはないのです。

カラオケの影響で歌うことが苦手になるのはもったいない。と私は思います。内なる感情が、メロディや詞となって出る「現象」を、人は歌と呼びます。聴衆への届け方は自分で選べばいいのです。

とは言え、カラオケの「いくら大声を出してもいい」という環境は貴重です。大事なのは、最大まで声量を出すことではなく、声の大小の自由を活用することです。

あえて、日本人に合う基準として、環境を選ぶとしたら……

一度、10人くらいが入るやや広めのカラオケルームを1人で借りて、伴奏を小さめに流しながら、マイクを使わず、同じ部屋にいる人に聴かせるつもりで、自分の表現したいものをのびのびと歌ってみてください。きっと、やってみたい表現、込めてみたい感情など、新しい発見があると思います。

まずは、歌の自由を感じてみてください。自由に歌う場所を手に入れることが出来れば、多カラは多カラと割り切ることができます。楽しめなくても負い目を感じる必要はありません。おそらく「歌わない自由」も感じることができると思います。 

湧き上がるどんな感情も否定しないであげてください。妬み、嫉妬、殺意、希死念慮、なんでもござれ。歌にはそれを受け止める器があるのです。

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