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接骨院評論家への道

徒弟制度について
私が接骨院で下働きしていた1979年にはまだ色濃く残っていた。
福利厚生は無く、どんな仕事でもした。
市会議員選挙の応援弁士の運転手
大先生の運転手
柔道の恩師の運転手
除雪
犬の散歩
畑でジャガイモ作り
掃除は当たり前
日曜日ぶらぶらしてたら電話がかかり急患の応急処置
急性腰痛の往診
した二つは、普段診ることのできない貴重な体験となった。
ほかの仕事も今では大変貴重な体験となり雑用といえども大切な仕事だ
柔道整復師はいずれ自分で開業するのだから大変ありがたい体験だった。
そして1991年に開業の世話までしていただき 
H先生には足を向けて寝られない。
時は流れ2023年
誰もこの徒弟制度など考えていないはず何に、私の街で一番沢山患者様の多い接骨院の院長はいまだ「弟子」という言葉を使う。その接骨院からは誰も開業したものはいない、ブラック企業ならぬブラック個人経営者である。朝早くから夜遅くまで働かされ疲弊し、開業を諦める。
悲しい話である、自分が徒弟制度で育ったからと言って現在も同じようにとは時代錯誤だ。最近回数制限もうるさい。
「毎日通ってください」が「一か月14日通ってください」と言わなければならない。おぎなう手は、混合施術。柔道整復師は医科ではないので許される。保険請求プラス特別な電気をオプションとして500円プラス。固定材料をオプションで1980円。保険診療プラス特別手技でプラス3000円
サプリメント売ったり、鍼灸師の資格を持っている方は、針打ってプラス2000円。
そうしなければ以前の売り上げにならないのだ。
私の接骨院からほかに流れることはもちろん有ります。
しかし原則は、「後医は、前医より名医」。
後医の方が情報が多いからだ。
いまだに弟子扱いされている柔道整復師は、開業も出来ず、整形外科でも働けず。私みたいに介護に流れるか、リラクゼーションに行くか困るのでは?
接骨院に併設してトレーニングジムをやっている「マッチポンプ」式は最悪。つづく

2000年富山国体少年男子メディカルトレーナー 2001年富山県立氷見高等学校男子ハンドボールメディカルトレーナー 2021年ハンドボール日本代表チームにメディカルトレーナーとして合宿に参加 2023年富山ドリームススタッフ