見出し画像

私は「家族」という名のチームを作りたい

この話は、私が入籍に価値をそこまで感じていないこと(というか、形式に頼りきってしまうことの恐怖を感じていること)そして、別姓でありたいと、願うようになるに至った原因のひとつなので、書いてみました。

あ、大切なことですが、入籍や、同姓になることに反対しているわけではないです。それぞれ、したい選択をすべきかな、と思います。

家族とは...

氏が一緒のことなのか?

一緒に住むことなのか?

入籍することなのか?

もちろん、そういう意見もあるだろう。
でも、私にとっては

「お互いに何があっても助け合おうとする、努力ができる関係性」

なのだ。
あまり論理的ではない文章で、私なりの家族観を書いてみようと思う。

あれは、いつのことだっただろうか。
お世辞にも、仲良し夫婦とは言えない私の両親。

私の記憶に強く残っているのは、
雨漏りがする、古い家の玄関で、父と母が喧嘩をして、包丁が床に刺さるシーン。


そんな状況でもローンを組み、家を建て、財政状況が悪くなった我が家ではさらに喧嘩が勃発していた。


小学4年生のとき、父の部屋に呼び出され、

「もう、おとーとおかーはダメだ。どちらの方につきたいか、また聞くから、考えておいてね」

ああ、来たか、と思った。


よく、母からは、「離婚したらどっちと一緒に住みたい?」と聞かれてはいたが、それは、子どもが自分の味方につくことを確認したい行為だと、よく分かっていた。

そして、妹と、小学生が二人入っただけで一杯になってしまう古いバスタブのなかに2人でつかりながら
「どちらも、おかーがいいよね。でも、おとーがかわいそうだね。」
なんて話をよくしていた。


「もう、おとーとおかーはダメだ。どちらの方につきたいか、また、聞くから、考えておいてね」

と言われたあの日、私が言ったのは

「うん。でも、子供を産んだ責任をとってよ。せめて、高校の学費を払うまでは離婚しないでよ。やめてよ、勝手に産み出しておいて。」

今だってそうかもしれないが、当時はワイドショーでシングルマザーがいかに辛いか、そして、離婚時にどうやって夫からお金をとるか、よく放送されていた。
母はずいぶんとそれを熱心にメモしていた。
当時はインターネットなどというものは、なかったのだ。

そんなこんなで、当時の私の居場所は本と、勉強と、近所の公園だった。
引っ越す前は、市立の図書館が近く、毎週末、姉妹2人で上限の20冊いっぱいまで借りにいき、読みあさっていた。

本が居場所であるというのは、引っ越してからも変わらなかった。むしろ、年齢が上がったから、勉強の割合がやや増えたというか。

そして、担任には恵まれていたので、学校という居場所もあった。

私の一言もあってか、両親は今も、離婚していない。未だに、産まなきゃよかったってたまに言われるけど...(自分の存在価値の確認行為なんだろう。)

当時、家では、父と母、2人が話すと大喧嘩になるので、夫婦の「伝書鳩」の役割は、私たち姉妹がしていた。
父の意見を通そうとすると、「みちこは父のの味方なのね」と母から嫌われる。

母から嫌われると、家庭内で居場所がない。

子どもが2人、味方についたものの、そこまで精神的に強くなかった母は、けっこうエセ科学ものにひっかかっていて、
それをおかしいな、思っていた私は、科学の道に進み、エセ科学がもっとも嫌いなものの1つになっている。
これについては、長くなるのでまた後日。



家族イベントと言えば...そう、お正月。

私にとって、毎年、お正月が一番つらい。
あんな、家族の幸せがつまっているところ。

家族で初詣とか、寒くない?って気遣いあって、家族がより近くなることとか、いちばん、私がほしかったものだ。

クリスマスは、一対一の関係だ。
幸せなカップルたち、それを見て幸せになる。
装飾が街にきらめいて、2人がよりそって、暖かい。
いいねぇ、好きよ、その笑顔を見せてくれて、ありがとう。心が、暖かくなる。どうか、その笑顔が続きますように。幸せな家庭が続きますように。本当に、願っているよ。

そして、お正月。
家族でいるのが「ふつう」なのに、家族で初詣に行くと散々な目にあう日。

私は、それがいやで、ほとんど帰省していなかった。
とはいえ、わりと季節のイベントは好きなので、1人でおせちを勉強していたり、帰省しない組で各地のお雑煮を作ったり...なかなか楽しく過ごしていた。

はじめて1人で初詣にいった日は、なんだか、すごく寂しかった。だから、私の初詣は、1月2日以降。


今、私の母が、私を産んだ年齢をずいぶん越えている。

よく、お互いに嫌う人と一緒にいるなぁと(まぁ会話してないけど...)。
よく、耐えてくれてたな、と思う。
両親それぞれ、私への愛情を注いでくれたと思う。
そろそろ離婚していいよって思う。

私は、幸せな家族ができるのか?
私は、子どもを産んで、その幸せを作れるのか?
子供については、正直、あまり自信がない。

子どもはかわいいし、遊べるたちなので、子どもの扱いを見ている友人たちに、保育士になったらいいのにー、とはよく言われるけど...自分の子って大丈夫なのかな。


いろいろ書きましたが、まとめると、
私は、

①家族というものは「姓が同一」とか、「籍が一緒」なだけでできるものじゃないこと
②むしろ、形に縛られると、望まない人たちが不幸になること

を横目で見ていた。

そんな、籍を入れて壊れる関係性なら、無理に繋がらずさっさと解散した方がいい。
形にこだわるばかりに、親だって、子どもだって、大きく傷つく。

名字が一緒だから、関係性が続いたわけではない。家族自体は、機能不全だった。私も、辛かったし。

でも、父、母がそれぞれ、自分達なりに愛情をかけてくれたことは、分かっている。

父と母は、入籍して、姓も一緒だけど、
私の中の家族は

父→私たち姉妹
母→私たち姉妹

と、2つある。

入籍することが家族を作るのではない。その、関係性を築く努力をし続けられるか。そうしたいと思うか。それを思いあっていることが、家族なんじゃないか、と思う。

人生は、自分で選べるのだから、無理しなくたって、きっといい。

**

やはり家族のことは、書いていて涙がでてくる。30歳を越えても、未だに子供なんだなぁ、困っちゃうなぁ。(※投稿した今は、かなり元気なのでご安心を!)

この記事が参加している募集

#熟成下書き

10,570件

もし・・もし、サポートいただいた場合は、それを軍資金としたnote関連企画をしようかと思います。