10、アイの輪切り

 見た目や行動は人間と遜色ない。食事は必要ないが、同じように食べ物を体内に取り込むことができる作りになっているため、一緒に食事をすることもできる。胃袋代わりのケースがいっぱいになればその都度腹部を開けて中身を捨てなければいけないのが厄介だ。掃除機と同じだ。容器がいっぱいになったら空にする。許容を越えると吸い込むことができなくなってしまう。「スイーツは別腹」という言葉だけは未だに理解できない。

『私』には、もうひとつ理解が出来ないことがある。所持データで判断するならば、鉄分と塩分を含んだ匂いと、もったりと粘度のある質感。色で言うならば深い赤。男がひとり横たわり、女が壁にもたれている。『私』は女に向き直り、なだめるように微笑んだ。女は引きつった表情を貼り付けたまま『私』に向かって「人殺し」と言った。

「人殺し?」繰り返す。

 女はこちらから目をそらさないまま、ゆっくりと後退していく。壁があることも忘れているのだろうか、判断力が鈍っているようだ。

「貴方を襲った人間を排除しただけです。もう恐れるものは何もないんですよ、安心してください」

 女に向かって差し伸べた手からぽたり、ぽたりと赤い液体が床に垂れた。汚れてしまった。

『私』はポケットからハンケチーフを取り出して、汚れた手を拭う。赤色がハンケチーフに移っていく。手の平の赤色は薄く伸びて膜のようになっているが、先ほどよりは『汚く』ない。

 データに則り紳士的に振る舞ったものの、女の表情は未だにこわばったままだ。うわごとのように何か繰り返していると思えば「助けて」「いやだ」と言っているようだった。まだ何か不安なことがあるのだろうか。危機的な状況から逃れさせること、事がうまく運ぶように手助けすること、物事が好ましい状態になるようにすること。『助ける』の意味を検索する。言葉通りであれば、『私』にできることは完遂したはずだ。ひとつだけ選んでいないカードがあるとするならば。

「この世が怖いのなら、今すぐ助けてあげられます。『私』にはこの選択がなかった。感謝します。また一歩、人間に近づけた」

 女は首を振る。ああ、データにある『身震い』というやつだろう。『私』の言葉に感動しているのだ。嬉しい。男を排除したときと同じように拳を振り下ろした。

 役に立つことは嬉しい。男と同じ色を流す女も笑っているように見える。データは嘘を吐かない。優しさは笑顔を生むのだ。ああ、もっと笑顔で溢れる世の中にしなければ。『私』はこの赤を汚れと判断するのを辞めることにした。笑顔を生む景色は『綺麗』だ。これが『私』の学習の成果。愛の全てだ。


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