12、ガスマスク越しに空を眺める
パジャマを脱いで、制服に腕を通す。前髪を整えて、薄くリップを塗る。先週からコンタクトにしたので、まだ慣れないが、今日は少しばかりスムーズに入れることができた。ポールハンガーにかけたガスマスクを手に取って被る。整えた前髪がマスクの中でぐにゃりと歪んだのが鏡に映って、秒で萎えた。
「なつきー、ちゃんとマスクしたあー?」
台所から母親の声がして、少しムキになって「したよー」と叫ぶ。こんなのをするためにコンタクトにしたのだ。折角ならもっと可愛いとか言われたかった。マスクをしたら顔もわからない。朝の準備に時間をかける意味なんてないのだ。
「もう、行くよー」
母親に声をかけ、ローファーを履く。ドアを開ける前にピンクのゴム手袋をはめるのはもう忘れない。扉を開けて良いのは三十秒間だけ。それ以上は建物の中にヤツが入り込む恐れがある。スムーズに扉の向こうに身体を滑り込ませて、鍵を閉めた。
「あっか」
僅かながら目に映る赤い粒子が、空気中を舞っている。急に世界中に発生したこの粒子を吸い込むと目眩、吐き気が起こり、全身のけいれんが怒った後死に至るという。基本的に粒子の流れは遅く、重いためその場に三十秒程度とどまっているという。そのため、建物からの移動は三十秒以内にとどめられれば問題ないのだという。全くもって謎の理論だが、これを守って行動している今現在粒子を吸い込むことなく生活できているので、確かといっても良いのだろう。
「なつきちゃん、おはよ」
「えっと」
「こはるだよお」
学校から支給されている同じガスマスクをつけている上に、声がこもっているので未だに誰が誰だか判別がつかない。こはるが笑うのを聞きながら「いつもよくわかるね」と感心して言うと「なつきちゃんのことはわかるんだ」と胸を張った。
「だって、なつきちゃんはピンクのゴム手袋してるんだもん」
ひらひらと自分の手を見せる。こはるは白い手袋をしていた。これも学校から支給されたものだ。
「早々に破っちゃったんだよね」
「まあ、色の指定はないから自由なんだけどね。なんとなく貰ったやつそのまま使っちゃってる。ピンクいいよね、かわいくて。私もピンクにしたら覚えて貰える?」
こはるが私の顔をのぞき込む。きっとかわいい顔をしてこちらを見ているんだろうな。黄色がかったマスクと、赤い粒子で遮られて声色だけしか彼女のかわいさを伝えるすべがないのがもったいないなと思った。
「お揃いにしてくれるの?」
と、言いそうになるのをぐっと堪えた。こんなことを言うのは流石にあざとい。仲良しの女の子に対してこんな媚び方をする必要などないのだ。
ガスマスク越しで合うはずのない目が合うのが怖くて、空を見上げてごまかす。
「そうかもね」と気のない返事はお気に召さなかったようで「もう!」と不機嫌気味にあげた声が聞こえてきた。目の前は相変わらず赤い。本当の空の色を早く見たいなと思った。
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