9、拒食症とカニバリズム

 爪を噛む。親指から順番に噛んでいたが、中指のターンでぺり、と音がして長く伸ばしていた爪が割れる音がした。そのままゆっくり剥いて口の中に含む。転がすと割れた爪が口内を刺激する。柔らかいところを探して噛みしめると、次第にしゃりしゃりと細かくなっていき、砂のように広がる。変に苦みがあるのは、薄く塗っていたトップコートのせいだろう。決して美味しくもないが、吐き出すのがもったいなく思えて喉奥を微かに痛めつけながらも飲み込んでいく。短くなった中指の爪先がギザギザに歪んで気持ちが悪い。指先を越えて残っている爪をもう一度口に含んだ。

 きっかけはあまり覚えていない。部屋に隠りがちになって、何もかもどうでもよくなった。

 ひとりで部屋の中にいると自分の思考が正義だと信じてしまう。携帯電話は充電が切れたまま、今が何日で何時なのかわからない。締め切ったカーテンの向こうが白く滲んでいるので、かろうじて朝だということはわかる。また生産性のない一日が始まってしまったのだと思うとやりきれない思いになった。

 愛されることがわからなかった。自分を大切にしろという言葉が無責任に思えた。誰も私のことを救えやしない。自分でも気がつかない間に心にぽっかりと穴が空いてしまっていたようで、ずっとなんとなく虚しかった。虚しさに気がついてから、あっという間に闇の中に転がり落ちていった。

 自分のことに無頓着なのは昔からだが、生命維持にも興味を無くすとは思ってもいなかった。痩せ細っていく自分の身体を見ながら、他人事のように「消えていってしまう」と思った。それがなんだか嬉しいことのように感じてしまうのが、さみしかった。

 口の中にじんわりと塩味が広がった。鼻を抜ける鉄の匂いに覚えがある。見れば、唾液まみれの指先が赤く滲んでいた。まだ生きてるんだ。そう思ったら少し笑えた。


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