15、とりついた島はゴミの山

 マス目を埋めるように言葉を並び立てる。少しのニュアンスが気になってバツをつけては、紙を丸めて掘り投げる。自分の世界はこんな稚拙な言葉では正しく表現できない。自分自身が生み出したものだというのに、自分自身では構築しきれない。ああ、またダメだ。五十音は意味を持ちきれないまま紙くずへと変わっていく。

「廉、まだ籠もっているの?」

 母親が廊下から声をかける。自分の作り出した世界の中へトリップしている廉には母親の声が届いていないようで、部屋の中からは何も聞こえない。たまにカサカサという紙の転がる音がするだけだ。不安になった母親がそっと扉をあける。ガサガサと音を立てて、廊下へと大量の紙くずがなだれ込んできた。

「ちょっと! 何なのこれは」

 母親が声をあげる。ひとつ拾って広げてみれば書きかけの原稿用紙だ。全てが未完成のまま尊厳を失い可燃ゴミへと成り下がっていた。ゴミの山をかき分けるようにして部屋の中へと籠もっている廉を探す。部屋の中央まで進むとカリカリとこすれるような音が聞こえる。次第にその音は止み、「ああ!」という廉の声と共にクシャリと紙が丸められる音がする。

「廉? 居るの?」

 やっとの思いで廉へと手を伸ばす。母親の声かけには一切気がついていないようだった。廉はひたすら白紙の原稿用紙を埋めていく。書いては消し、書いては丸め、物語は進まない。ぶつぶつと何かを繰り返している声が漏れていることに気がつき、母親は耳を澄ませる。

「……『バス停に降り立つと見知らぬ男の声を聞いた菜々子はゆっくりと振り返る』『バス停に降り立った菜々子は見知らぬ男の声にゆっくりと振り返る』『菜々子はバス停に降り立つと見知らぬ男の声を聞く。菜々子はゆっくり振り返った』……」

 同じ文章を表現を変えて何度も繰り返す。廉の物語は菜々子が振り返る先を進めないまま停滞している。「違う、違う違う」真っ黒になった原稿用紙をまた丸める廉に思わず「何が違うの」と母親が声を漏らす。先ほどまで全く声が届いていなかったはずの廉がゆっくり振り返った。

「…………これだ」

 瞳孔の開いたままの瞳で母親を見つめると、何かを言おうと口をはくはくと閉じたり開いたりした後に合点がいったように口角を上げた。新しい原稿用紙に再び向かう。そこに『見知らぬ男の声が菜々子を呼び止めた。バス停に降り立つと、声の方へゆっくり振り返る。』と書き込んで、また手を止めた。

「『菜々子』『奈々子』『奈々』『菜々花』『菜摘』」
「廉?」

 思いつく限りの女性の名前を並び立てる廉の姿に母親は恐怖する。何が息子をこうまでさせるのか、理解ができなかった。折角納得したはずの文章をまたゴミの山に投げ込む。

「ダメだ、こんなんじゃダメなんだ」

 震える右手でペンを握り直し、正解のない冒険を彼は再び始める。母親は何も言えないまま廉の姿を眺めていた。


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