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面白い人

トタン屋根が雨を弾く音に心地よさを感じながら、私は今から会う約束をしている彼のことを考えた。

「珈琲が飲めません!!」とだけ書かれたプロフィールが未だ発見した当初の衝撃と等しい鮮度を保って脳から離れない。

この人とは仲良くなれそうだな思った。私は趣味の欄に「カフェ巡り」と書いていたが、同じカフェ巡りが好きな男性と会うよりも何倍もこの男と仲良くなれそうな気がしていた。

なんとなく使用していた出会い系のアプリで初めて自分からコンタクトを取った。

好きな映画の話やたまたま一緒だった地元の話など、たわいもないやり取りが続いて1週間とわずか、私たちはついに顔を合わせることになった。

「あと3分です」

と予定時刻を15分すぎた時点で連絡が来た。

向こう側の駄菓子屋の屋根では跳ね返りの雨が踊り視覚的に私の注意を引いたが、お店にいるおばさんがうたた寝をしていて「今なら盗めそうだな」とすぐに不純な感性が上書きした。

人を待たせるのは苦手でかなり早い時間から来てしまったが、人を待っている時の自分が格好つかなくて毎度笑ってしまう。

それにしても今なら絶対に駄菓子を盗める。

目のピントを近くに戻すと例の男と思わしき
人物が真横に立っているのに気づいた。

怖い。とにかく怖かった。

「あの、、ですよね??」

「あ、そ、そうです!そうです!」

私は慌てて答えた。

知らない人じゃなくてよかったと安心してる自分が可笑しかった。知らない人には変わりない。十二分にこの状況は恐ろしいはずだ。

彼は「おすすめの喫茶店がある」と言って細い路地の小さな建物の2階にある喫茶店に私を案内した。

彼はこの店の常連らしかった。

暖かい色合いの照明、年老いたマスターの気品、珈琲を飲めない人間が常連になることは困難に思えた。

「アメリカンを2つでいいですか?」

ん??

「え、、え、えっとはい」

「アメリカン珈琲を2つ。あとホットドック」

いや飲めるんかい。
いや飲めるんかい。
いや飲めるんかい。
いや飲めるんかい。
いや飲めるんかい。
いや飲めるんかい。

吉本新喜劇を見て、あの台本ありきの薄寒い感じで笑ったことがない私もこの時ばかりは立ち上がって転げたくなった。

注文を待っている間、気まずさをつなぐ会話は一切なく私の方から話を振ろうとも思えなかった。それは彼が醸し出す雰囲気の中にいることで脳のキャパシティが完全に満たされたいたからだ。

やはりこの男は普通ではない。

「僕の好きな珈琲飲んでほしくて。多分好きだと思います」

「あ、、え?」

「お先にどうぞ」

「あ、はい。じゃあいただきます」

男の語気に押され舌を火傷する
勢いで珈琲を啜った。

美味しかった。
色々な珈琲を飲んできたが
かなり上位に食い込む味だ。

「美味しいです」

「やっぱりね、じゃあ僕も」

「あ、はい召し上がれ」

「いただきます」 

男は親指と人差し指でコーヒーカップを持ち
まっすぐな姿勢でカップを口に運んだ。

その姿がなんだかとても美しかった。

男は袋にゲロを吐いていた。

にわかには信じ難い光景。
一度の瞬きで世界がひっくり返った。

「だ、大丈夫ですか??」

「珈琲好きなんですけど、珈琲豆アレルギー」

「あ、」

「ここの珈琲美味しいでしょ?」

「あ、」

「飲みたくても飲めないだけど飲んでます」

彼は清々しさと恥じらいを含んだ表情でそう言った。バイトの女性がホットドッグを持ってきた。「このタイミング??」と思ったが、もし彼が常連であるならば毎度このタイミングなのかもしれない。

「珈琲が飲めません!!」が頭の中を何度も何度も駆け抜けた。

正直で不器用で真っ直ぐで面白くてあったかい
彼のプロフィール。

「雨、止みましたね。」

そう言って小ゲロ袋を鞄にしまう男が
私の珈琲をもう少しだけ美味しくした。







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